・大仏寺山・祖跡コース&永平寺・
 標高807メートルの山で、日本曹洞宗の開祖道元禅師が開創した大佛寺(現在の永平寺)からきております。
 道元禅師一行は、吉峰寺から尾根伝いに祝山(標高705m)、大佛寺山を経て大佛寺に入られたといわれております。

福井大学ワンダーフォーゲルOB会
FUWVOB 1999.11.1/
home  浄法寺山・清水小場・鷲ヶ嶽山と半島 永平寺

(1) ▲ 大仏寺山 807.4m  [地図]   〜祖跡コ−ス〜「大仏寺跡」
祖跡コ−ス
 ● 道元禅師を偲ぶ祖跡コースを歩いて見ませんか!
 〜 この山の名前は、日本曹洞宗の開祖道元禅師が開創した大佛寺(現在の永平寺)からきており、 標高807メートルの山です。  道元禅師は寛元元年(1243)越前に下向し、吉峰寺(福井県上志比村)に入られ、翌、寛元2年 大佛寺を開堂されました。
 道元禅師一行は、吉峰寺から尾根伝いに祝山(標高705m)、大佛寺山を経て大佛寺に入られたと いわれております。
 吉峰寺から永平寺までのコースは、祖跡コースとして整備され5時間ほどの道程で、道元禅師をしのび ながら歩くコースは、厳しさと心の安らぎを与えてくれます。
 山頂からの眺めはすばらしく、遠くは白山連峰の山々、日本海をも見渡すことができ、大きく蛇行して 流れる九頭龍川の向こうには浄法寺山が近くに大きく見えます。

祖跡コ−スMAP  「祖跡コース」・・・・ ※地図はクリックすると拡大します。
 ・・・・吉峰寺[地図]登口→20分→吉峰寺→2時間→祝山705m三角点→40分→仙尾山831m→2.5時間→大仏寺山 →2.5時間→永平寺
 「仙尾山 831」
 「祝山 705」
 「三宝滝」
 「御開山硯の水」
 「愛宕山公園」→『禅の里』
 「永平寺ダム


(2) 『大本山・永平寺』
永平寺本山 曹洞宗の大本山であり、禅宗の修行道場である永平寺は今から約750年前・鎌倉時代 1244(寛元2)年に波多野義重が道元禅師を招いて建立創建された古刹である。
はじめは、吉野郡志比庄の幽谷に建てられ傘松峰(さんしょうほう)大仏寺と命名されたが、1246年中国に仏教が伝えられたときの 暦号にちなんで「永平寺」と改称した。

深山幽谷の地に築かれた七堂伽藍。 700年余の昔、道元がこの地で求めた哲理を示すかのように、永平寺は厳しいほどの静寂の中に建つ。堂宇をむすぶ長い回廊を進むとき、人は皆一人の雲水になる。

 『雲水うんすい』とは禅の修行僧のことである。
  雲水修行・座禅・勅使門

 『七堂伽藍』〜中国の宋時代の様式をそのままに伝承して いる豪壮な建造物配置であるが、その中でも七堂伽藍は雄 大かつ見事である。
七堂伽藍とは、法堂(ほっとう)仏殿、山門、庫院、僧堂、浴室 東司(便所)の7つの建物をいう。
また総門と七堂伽藍の間には、舎利殿、傘松閣(さんしょうかく) 玲瓏閣などの建物があって、仏殿の北西にある承陽殿、孤雲閣などと ともにすべてが回廊によって結ばれている。
不立文字(ふりゅうもんじ)」
「不立文字」陶碑  愛知県瀬戸市にある陶器製の碑に禅の真髄とも云われている「不立文字」のことが書かれている
「いゝ捨てし その言の葉の ほかなれど 筆にも跡を とどめざりけり」
(写真を撮ったときには禅の真髄の現している語句であるとは知らなかった、アルバムを整理中に見つけたもの )

 『道元禅師』〜「不立文字(ふりゅうもんじ)」→
 不立文字とは「文字にしては伝えることができない」ということである。  悟りの境地は文字で表しえない純粋経験である。従って、文字に書かれたもの、教典や祖師の残した書物や語録にも、一切とらわれてはならないのである。文字でとらえることできないとなれば、非論理的だと思われる人がいるかもしれない。だが、論理的だということは、文字による概念や知識にとらわれるということでもある。  言葉にして伝えようにも、伝えられないものがある。無理に言葉にすれば、厳密な意味において嘘となってしまう。それは教典においても例外ではない。そこで禅では、一切の文字や言葉による伝達を避けて、釈迦と同じ体験、すなわち座禅にひたすら励むのである。だから、禅では、坐禅の修行が根底であり、その体験を重要不可欠とするのだ。  不立文字の例としては、掛け軸などに描かれている「○(円相図)」などがある。

 『正法眼蔵』〜
 「傘松閣」天井壁画
 『永平寺道』〜追分・恋坂峠越「恋坂峠 (越坂峠)」〜近道。
 梨の木峠。
 「緑の村」

  【山頭火】の句より
  水音のたえずして 御仏とあり
  てふてふひらひらいらかをこえた
  山のしづかさへしづかなる雨
山頭火が永平寺へやって来たのは昭和11年7月4日。 七月、坂田に出て日本海沿岸を福井まで西下して永平寺に五日間山篭し、月末に帰庵。 山形から永平寺までは、なんと浴衣一枚の姿で旅をしたらしい。 前年末から、山陽道、東海道、東北道を歩き、芭蕉の足跡をたずねて平泉まで行き、北陸道を南下して福井へ到着した。 京福鉄道永平寺線は当時すでに開通していたが、永平寺まで山頭火は歩いて来たようだ。 永平寺で参籠を許され、7月7日まで滞在した。

  松尾芭蕉は著書「奥の細道」の中で、永平寺を訪れて次のように記しています。
 五十丁山に入て、永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機千里を避けて、 かかる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ有りとかや。


(3) 『九頭竜川中流の永平寺の里』 〜山紫水明の平和な永平寺の里〜
山王の里 ∞永平寺の「永平」とは「永遠の平和」を意味する。

 ◆永平寺・大燈籠ながし
  清流に日が沈む頃、読経の中で荘厳な光の帯が流れ、夏が過ぎて行きます。(お盆)
 ◆永平寺・参道マラソン◆(3月中旬)
  <鮎街道>「鳴鹿大堰堤
 『上志比村』〜{ニンニクの里}

 『吉峰寺』よしみね
〜曹洞宗開祖道元禅師が越前に入った最初の道場。寺の裏山に開山座禅石や白山水、等もあり、奥深い山寺の感が強い。  ここより永平寺まで7.5qの山路は、道元禅師がお通りになられた祖跡コースになっており、ハイキングにも最適です。
  吉峰寺(きっぽうじ)キャンプ場 
 『白山水』〜吉峰寺境内。大仏寺山系の湧水〜軟水の名水。水脈が白山から続くとか。

 「弁財天白龍大権現」(越前竹原)
 「興行寺」 コンピュ-タ-グラフィック 華の蔵

発電所  「市荒川発電所」〜小規模な水力発電所
<鷲ヶ岳や浄法寺山から俯瞰すると小さな村の小さな発電所が微笑ましく見えます。>
 『小舟渡遊園』〜小舟渡(こぶなと) かま風呂温泉・・・・現在は廃業している。
 「小舟渡船渡」は「川幅四拾参間水七尺岸四間」の「吉田中島村へわたる勝山街道」(越前国名蹟考)の要所であた。
 「小舟渡遊園地」は家族連れで賑いを見せるところある。 ワンダラ−向きには、およそ2時間の小堀遠州造園、丸岡藩有馬公愛用の折畳式茶室、八十八ヵ所、三 三ヵ所の観音を訪ねる山巡りが面白い。(現在は廃業し立ち入り出来ない)

小舟渡付近はアユの産地としても知られている。シ−ズンになると、たくさんの釣り人が集まって糸を 操るが、こ景は季節の暦である。
 ◆アラレガコ
アラレガコ アユのほか九頭竜川の幸で忘れてならないものに、特産アラレガコがある。 冬期に「エバ」と称する大篭を激に流して、これを獲るが、近年その数も少なくなり、こ珍しい魚法もなかなか見られなくなってきた。
河川に生息するアラレガコは産卵のために秋から冬にかけて海へ降りていきます。そこで雄と雌が一尾ずつカップルとなって産卵し、その卵は雄が管理します。そして、成長した稚魚と親は再び河川に上がってきます。  アラレガコは太平洋側が岩手県を、日本海側が秋田県を北限とし、本州、四国および九州まで広く分布しています。 福井県では県内の殆どの湖、河川に生息していますが、九頭竜川では主に中流域に生息し、大野市阪谷橋から福井市舟橋の生息場所は国の天然記念物に なっています。

 {松岡町}・・・・現在は、「永平寺町」に統合されている。
 [吉野ヶ岳]547m(松岡町)
 [二本松山]273m・松岡公園


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