◆ 松尾芭蕉が立ち寄った 天龍寺
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で、松岡の天龍寺を訪ねている。
当時の天龍寺住職大夢和尚とは、江戸での交際があったようで、この寺で一泊した芭蕉は
永平寺を詣で福井に向かった。
「物書て 扇引さく 余波なごり哉」
芭蕉は、茶屋で門人立花北枝と別れるときに古習形見わけの”扇の別れ”を行い、
これはそのときの贈答句とか。
吉野ヶ岳の帰路、しばし立ち寄ってみる格好の場所です。
「奥の細道」では丸岡の天龍寺になっているが、地元でも丸岡と松岡は隣り合わせで語呂も
似ていて間違い易く、長い道中のこと取り違えたのかも。
現在、天龍寺は松岡小学校横にあり、座禅堂のあるこじんまりとした禅寺である。
御像堂と松平昌勝公木像・・・天龍寺に隣接
丸岡天龍寺の長老、古き因あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、
かりそめに見送りて此所までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。
今既別れに望みて、、物書て扇引さく余波哉。。「奥の細道」より
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《手繰ヶ城山古墳》古代のロマン「松岡古墳群」・・・・志比堺駅下車 徒歩40分
古墳群を代表する手繰ヶ城山古墳は、国指定の史跡で全長129mで、北陸では第2の規模です。
古墳の時期は4世紀中葉で、北陸に出現した大型前方後円墳です。
また古墳群の特徴は、大型古墳が集中していることがあげられ、被葬者は必ず越前固有の船形石棺に
安置されていることです。この特徴を備える古墳は北陸で松岡古墳群のみ。
学術的にも、価値の高いものが多く注目を浴びています。
[二本松山]273m・松岡公園
吉野堺の東部山上にある二本松山古墳は、山頂を平坦にして周囲に壕を設け、埴輪円筒をたてた古墳で、
獣形鏡や鹿角製刀装具などの遺物にまじって、銅板鍍銀の一対の天冠も出土した。
丸岡の六呂瀬古墳とあわせ九頭竜川を挟むこの一帯に古墳時代には相当強力な豪族が存在していた。
《お館の椿》・・・・観音町駅下車5分
かって松岡には親藩福井藩の支藩・松岡藩(5万石)が設置されていた。
藩主の館の他侍屋敷も建てられ城下町が作られたが、2代昌平の時福井藩を相続したため廃藩となった。
お館の椿はや方の西門の庭に植えられていたと伝えられ樹齢300年を数えます。