・・・夜叉ヶ池・三周ヶ岳・・・
FUWV-OB:1998-12〜 福井県今庄町の最南端、標高 1100m の山間に満々と水をたたえる夜叉ヶ池。別名を「雨乞の池」ともいい、
その昔、干ばつに苦しめられたある村の娘・夜叉姫が雨乞のため、池に身を投げて村を救ったと言う伝説が 残る。

今庄宿・木の芽峠 福井大学ワンダーフォーゲルOB会


 ▲ 初冬の 夜叉ヶ池
(福井県今庄町)〜 [地図][1/25000地図]

  紅葉の池の周りは色とりどりのヤッケを着た登山者で埋め尽くされていた。
福井ルートと岐阜ルートのがあり、いずれのコースも利用者が多い。

● 今庄の最南端、標高 1100m の山間に満々と水をたたえ る夜叉ヶ池は 岐阜県揖斐郡坂内村と福井県南条郡今庄町との境にあり、 別名を「雨乞の池」ともいい、その昔、干ば つに苦しめられたある村の娘・夜叉姫が雨乞のため、池に 身を投げて村を救ったと言う伝説が残り、泉鏡花による小 説で一躍有名になった。[夜叉ヶ池の龍神伝説]
ブナの原生林に囲まれた周囲 545m の夜又ヶ池。昔か ら雨乞池と呼ばれてきたこの池は、ブナの影を映し、黒く さざなみ立ち、底知れず今も神秘的なム−ドが漂う。
山から山を渡り歩き、椀作りなどで生計を立てていた木地 師らによって発見されたというこの池が、彼等の信仰の対 象となっていたのも自然なことだろう。
5月の池はまだ残雪が見られ、芽吹いた岸辺の緑、日だ まりに咲き乱れるサンカヨウの白い花、紫色のカタクリの 花、赤いショウジョバカマと、彩り豊かでかで美しい。 シャクナゲの花も見られる。
秋のナナカマド、ブナ、ミネ カエデなどの紅葉など、 四季折り折りに違った顔を見せる。

 この地を訪れるには、福井県の三大河川の一つ、日野川の清流をさかのぼれ ばよい。日野川の流れは、この夜叉ヶ池に端を発し、日本海へと連なっている からである。夜叉ヶ池は、又、雨乞いの池としても知られているが、日照りの 続きに川も干しからび、思案に暮れて、日野の源流を追った昔の人が、最初に 満々と水をたくわえたこの池を見た時の気持ちはいかばかりであったろう。
”雨乞い”ということばがここではすなおに受け入れられるだろう。 この夜叉ヶ池は、標高1.000メ―タ―を越えており、ブナの古木、シャ クナゲ等に囲まれて、高山湖の趣をかもし出している。静かにさざなみ立つ池 の広がりは黒ずんで底知れず、神秘そのもの。池の四季の景色は、湖面を境に、 装いを凝らす。

「幽幻伝説の夜叉ヶ池」碑
(福井県今庄町夜叉ヶ池登山口)

    「花は人の目を誘う 水は人に心を引く
      君も夜叉ヶ池を見に来たと云う」


〜〜泉鏡花の戯曲「夜又ヶ池」より

登り: 2時間 標高1100m 山開き登山〜6/2

☆往昔妖婦あり。此池に沈み夜叉となる。数百年を経て慈眼寺の住僧天真の道 徳を慕い結縁を乞う。天真此池辺に至り済度せしかば夜叉忽持ち得度成仏せり。 依って夜叉ヶ池という。☆

 ここに紹介したのは、夜叉ヶ池の由来を伝える宅良谷慈眼寺縁起の一文である。 慈眼寺 の創建は嘉慶元年(1387年)今からおよそ600年前というから、 夜叉ヶ池の歴史は、それよりももっと古い。 昔、山から山へと渡り歩きながら 椀づくりなどで生計をたてていた木地師たちによって見つけられたという夜叉 ヶ池は、この人たちの素朴な信仰の対象となり、さらにそれが麓の農民にまで 広がっていった。このように日野川の源流として尊ばれてきたこの池には、古 くから多くの伝説が語り継がれ、岐阜県側のものも含めれば、小冊子にもなろ うと思われるほど多い。

今庄ル−ト
JR今庄駅→登山口15Km。タクシー40分。
JR今庄駅→宇津尾→広野ダム→岩屋集落跡→夜又ヶ池青少  年旅行村キャンプ場→f.20分→林道終点[P]・登山口・ 鳥居→石橋→沢沿いに登る、夜又滝f.40分→沢2回渡渉→  →トチの大木f.35分→シャクナゲ坂f.30分→夜又ヶ池f.20  分→古池f.20分→夜又ヶ池南行き f.20分→夜又ヶ丸 1206m
 ※→岐阜県へ夜又ヶ池北行き f.80分→三周ヶ岳 1292m
‡ 登山口→夜又滝f.40分→夜又ヶ池f.80分
登り2時間/下り55分

夜叉ヶ池登山口→30分→夜又滝→10分→トチノキの巨木  →40分→シャクナゲ坂→40分→夜叉ヶ池  夜叉ヶ池→20分→シャクナゲ坂→25分→トチノキの巨木  →30分→夜叉ヶ池登山口    ( 標準登山タイムです )
夜叉ヶ池 登山についてのお問い合せは 今庄町役場 0778−45−1111

[岐阜ルート]
岐阜市→揖斐川町→久瀬村→坂内村川上(RT303;2時間)→ →池之又夜叉ヶ池駐車場(標高760m、ここから池の南稜まで 3キロ、比高360mを登る)→夜叉ヶ池;徒歩2時間

岐阜でも有名な池であり多くの人が登ります。特に6月 第1日曜日の山開きのときには大変混雑し人の列が夜又ヶ 池まで続きます。国道303号線で西進し坂内村川上より 池ノ又谷林道に入り、その終点が登山口です。
 北方町から登山口まで車で1時間半。登山口にある夜又 竜神社で開山式が行なわれます。登山道の途中には幽玄の 滝、竜人の滝といった伝説を秘めた滝や夜又壁という大岸 壁があり変化に富んでいます。夜又ヶ池までは1時間半で 登れるので福井県側から登るのとほぼ同じ位の時間でしょ うか。帰りに坂内村の自然薯焼酎を買って帰るのが私の楽 しみとなっています。
(『岐阜から登る越美の山々』会員寄稿より


夜叉ヶ池 [伝説]

池の上弥平にからまる夜叉ヶ池の伝説
 弥平の娘は大蛇となり、雄蛇が焼死した故 夜叉ヶ池に移った。この時母親は 別れを惜しんで広野の村端まで見送りのため来たが、携えていた竹杖を大地に 突き立てたら蛇の斑紋を現して生育した。これが即ち夜叉竹である。
弥平雌蛇は夜叉ヶ池に来たが、ここには既に美濃国からきた雌蛇がいて、互いに嫉妬の 念が深く睦まじく生息することができなかった。雄蛇はこれを見るに見かねて 何とかして一方を制したいと思い鯖波街道に出て大蛇の姿となり、道いっぱい になって横たわっていた。それがために通行人は恐れて近寄らず、誰一人その 大蛇を飛び越えるほどの勇気あるものもなく、またこれを退治して通行を容易 にするほどの剛勇のものもなく、噂は噂を生んで付近一帯に広がった。しかる に、或る日、加賀藩の武士が、藩金を江戸に納付すべき使命を帯びて道を急い だが、眼前に大蛇の横たわっているのを見て、驚き怖れ一度は引き返そうと思 ったが、君命の重いことを思い、意を決して難なくその大蛇を飛び越え一目散 に駆け出そうとした。その時大蛇は忽ち山伏の姿となり、申すには、我は今日 までこの街道に横たわっていたが、誰一人飛び越えるほどの勇気のあるものを 見なかった。しかるに、今汝はこれを飛び越えた。その勇気と度胸を信頼して 頼みたいことがある。もし我が命にそむくならば汝の命を断つ、命に従うなら ば、汝の使命は我が引き受けて約束の時刻までに届けてやろうと。加賀の使者 は今は絶対絶命の場合となったが、度胸を据えて、その頼みたいこととは如何 なる事かと尋ねた。山伏は、我は夜叉ヶ池にすむ雄蛇であるが、衆民の災厄を 救うた功によって、姫を一人申し受けて夜叉ヶ池に連れて帰ったが、雌蛇が二 匹となって相争うので、なんとかして一匹を制したいと思って、この街道に来 て、この任にあたるべき人を求めていたのである。今日、汝の勇を認めたので 、我に従って池に来て、雌蛇が蝶となって争う折りを見て、腹の赤い蝶を射止 めよと命じた。使者は大蛇に見込まれたことであるから、仕方なく由伏に従っ て広野に来た。一週間程も弓の練習をして自信も着いたので、池に至って腹の 赤い蝶を射止めた。使者が蝶を射止めて帰るときに、弓を記念のため一週間余 り世話になった的場という家に置いて帰った。腹の赤い中というのは存来の雌 蛇の化けた物であった。         (福井県の伝説より)

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