柳五滝・権現山・三里山・大徳山
FUWVOB: 1999-1・
福井大学ワンダーフォーゲルOB会
権現山も名僧泰澄大師によって開かれた、大師が権現山に源を発する柳川の不動の滝で修行された折の開山で、日野山と共にかなり賑わって いたようです。 権現山登山の最大の魅力は、不動滝、お釜滝、布滝、窓滝、夫婦滝と連続する柳の五滝であろう。次々と出会う色々な滝に思いをはせているうちに 田畑や家や川はグーンと小さくなって、知らぬ間に標高を稼いでしまう。 1)滝めぐりコース・・・・・登り向き・・・・五滝→山頂565m(松ヶ嶽神社)→三峯神社→鞍ヶ上展望台 2)表参道コース・・・・下り向き・・・・山頂565m(松ヶ嶽神社)→杉の大木→布滝展望 3)展望台コース・・・・清水谷→鞍ヶ上展望台→三峯神社→山頂565m・・・道が荒れている恐れがある。
三里山(346m)・・・・三里山は武生と鯖江と今立の中央にどっかりと座っている独立峰で、周囲が三里あることから三里山と言われているとか。 加多志波神社・・・・重要文化財のお面さまがある、川島町の右奥に位置し、鬱蒼とした杉林に囲まれています。 馬の足跡・・・・ 登山口からしばらく道は滝からはそれていき、しばらく行くと見晴台があり。この辺りから登りがきつくなって、しばらくすると「馬の足跡」がある。 ドツ・・・・「ドツ」とは直径50メートルほどが丸く赤土が剥き出しになっていて、所々にわずかに草が生えているばかり。山頂まで740mの表示。 花筐公園と薄墨ザクラ ・・・・ 三里山の麓に広がる花筐公園は、約1000本のソメイヨシノが咲き乱れる桜の名所。この花筐公園を三里山頂上に向かって20分程歩くと、薄墨ザクラと呼ばれるエドヒガンの巨木が支柱に支えられて立っている。樹齢600年とか、県の天然記念物で、伝説によると継体天皇がこの地に滞在していた時は花は淡紅色だったが、京へ去られた後は花の色が次第に薄れ、いつのまにか薄墨ザクラと呼ぶようになったという。
概要: 典型的な里山であるが、古来より越前和紙発祥の川上御前を祭った大瀧神社の社叢(森)として斧を入れず守られて来ただけあってブナの原生林が残り、シラカシ、クヌギ、コナラ、中でもアベマキの大木が目立つ、山道は山頂近くの奥の院に通じるためよく整備されている。標高が低いため登山というより自然観察の路として評価される。 大徳山(青山)326m・・・・大滝神社が登山口で30〜50分位で大杉のある広場につく。登山道は奥の院に向かって左奥に続く。
大瀧神社→奥の院→山頂→新在家の集落→大瀧神社 一周コースがよい。 歩くだけならば2〜3時間程度。 周辺の見所: ★神木:杉の巨木 〜権現山頂(奥院の北)に老杉あり(周廻二丈四尺余り)に達し、千数百年を経たる古木にして今に生々たり。 泰澄登山の際、巳に大木たりし由という。 その後台風に会してその梢吹き折られ、十町余りを距てたる杉尾の区、南山の腹に逆に立ちそのまま根を生じたり。 よって区名を杉尾と称す。 この杉今なお繁茂せり。
泰澄の開基にして大瀧神社の別當寺なり。 末社四十八坊ありて僧兵夥多寄宿したりしが、織田信長北国征伐の時瀧川一益のために攻滅せられたり。
越前和紙発祥の伝承については、川上御前の伝説の他に、男大迹皇子の第二妃近江国三尾民の娘稚子姫がこの地にとどまり、製紙を奨励されたという説(大滝児大権現との関連説)、また紙を発明したといわれる蔡倫の技術を心得た帰化人か、もっと技術の進んだ曇微紙に近いような紙漉き技術に優れた者がこの五箇の地に来て、紙漉の技術を教えたという帰化人説(川上御前=帰化人説)などがある。 ★越前和紙の里
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