・町を離れて野に山に・・・FUWV部 50年の歩み・
〜・六所山登山コース開発報告書・〜
●FUWV部の活動や部員の思いを部誌として編集したもので、誌名は初め「渡り鳥」であったが、六所山登山コース開発が評価されるに至り「ろくしょ」に改名した。ここでは現在残っている部誌を紹介しました。 主な内容目録及びその他事業報告書などについては今後掲載予定。 福井大学ワンダーフォーゲル部&OB会 {資料館} ・50年の歩み ・ヤホー・ワンゲル「六所山」 ・沿革
夜は炭焼小屋で露をしのぎ、雨の日は小屋で寝、また ある日はテントの中より満天の星を仰いだ。日中は雑木 を切倒し、林立する笹に足もとられながら、手にいっぱい のマメをつくりながら悪戦.苦闘した。それも今とな っては、ただなつかしい想い出である。 先輩が着手してから四年間万事を投げ出し、土曜、日曜と作業を続け、 ようやく今7月山開きを挙行した。 日帰りも良し、一泊も良し、山のスケールこそ大きくないが、川あり、 池あり、海ありと変化に富んでいるのも特徴の一つである。そして登山にもまたハイキングコースとしてもその性格を備え、必ずや誰にでも愛される山となるであろう。また頂上からの眺めも、十分満足できるものである。 山を下っては越前海岸沿いに歩けば、日本海の荒波に削られた奇岩奇石の連続で全く退屈を知らない。 一人でも多くの人がこのコースを訪れてもらえば、努力の甲斐があったというものである。 ココにコースの紹介、開発の計画、記録を載せ報告書といたします。 尚、この欄をかりてこれまで一方ならず物心両面に わたってご援助下さった越前町、織田町、福井鉄道、 福井新聞社、越前町長谷氏、その他深い理解を示し て下さった地元の方々に深く感謝を表すものでありま す。
今はこの峠まで車で入れるだけでなく更に六所山を経て越前海岸までドライブできる。 『六所山』Rokusyoyama 698m 〜 「敦賀御前」ともいわれた〜 別名〜〜六升山・緑青ヶ嶽・越知山別山 正面の山(六所山)からは雄大な越前海岸を見下ろせると思うと、ここに登山コースを作り、越前海岸に抜けてみたいという衝動に駆られた。それが六所山縦走の登山コース開発となり、4年以上の歳月を拘束して先輩から後輩へと受け継がれ、完成した。 *〜やがて15年後(1972年)、このコースが県民体育大会の登山コースとして脚光を浴びることになる。 〜今は立派な林道が縦横に走り、これらの山も半日もあれば充分で、ついでに立ち寄るという感じになっている。 越前町の長谷氏と福井鉄道より2名視察 「完成に寄せて」 六所山登山コース開発について 学生課長 大久保長夫 本学ワンダーフォーゲル部が誕生したのは昭和31年12月5日である。当時まだ1年生であった某君がWV部の結成を申し出たとき、 部員は50数名であった。それから備品の調達等もあって事実上活動を開始したのは翌年の7月であった。 敦賀半島一周ワンデリング、第9回県民体育大会登山(取立山)競技の参加がそれで、余来、白山登山、妙高・戸隠・野尻湖キャンピング、加賀地方サイクリングと活発なクラブ活動を行ったが福井市の近郊に適当なハイキングコースがないところから六所山に着目し、その開発を計画して33年5月31日念願の開発に着手したのである。 それから本年7月開山式を行うまで約3年間にわたり正味40日以上の日数を費し、延べ人員500名以上を要してこの計画を完成したことは一クラブの事業としては大事業であり、その成果たるや誠に多としたいのである。六所山登山コースとしては風尾・武周ヶ池より入るコース、織田笈松より入るコース、血ヶ平より入るコース、越前左右から 入るコースなどがあるが、六所山を中心とした花立峠から血ヶ平出合までは全然道らしいものがなかったのを開発し、旧道路は整備し、主要箇所には道標を立てて、風尾或いは織田方面から越前海岸県立公園の最高峰六所山を経て越前海岸へ抜けるコースとして一般のハイカーが気軽にハイキングできるように完成したのである。その全工程は約15キロに及んでいる。 福井鉄道並びに越前町の陰の力があったにせよ、これは並々ならぬ事業で、余程の熱意がない限り出来ないことだと思う。単にワンデリングやハイキングを楽しむだけでなく、そうした道路の開発や整備まで思い立ってこれを成し遂げた功績は実に賞賛に値することであると思うのである。 願うことは今後このコースがどんどん一般のものに利用されて、もとのブッシュに逆戻りするようなことのないを祈るものである。1961-12
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