まるおかじょう(かすみがじょう)・たけくらべやま・ひともしやま
丸岡城・丈競山・火燈山
〜FUWVOB:1998-12  福井平野の東側には1000m近い山々が連なっている。
北から南に向かって富士写ヶ岳、火燈山、丈競山、浄法寺山、冠岳、鷲ヶ岳の峰々が続く。
特に丈競山は南北2つの峰が丸岡の当たりから見るとどちらが高いのか、競い合っている
様にも見え、その辺のところから、丸岡を象徴する山ではないかと思う。

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火燈山冨士写ヶ岳丈競山刈安山六呂瀬古墳群霞ヶ城 ・吉野ヶ嶽・蔵王大権現 {資料館}

 『丸岡城(霞ヶ城)』〜重要文化財 〜[地図]
霞ヶ城    現存する天主は国の重要文化財に指定。 天正4年柴田勝豊が築いたもので平山城という古い形式の城。望楼式天守閣。 最古の天守閣。石瓦。2層3階建 。 桃山時代1576〜日本最古の天守閣。

本多重次の書翰碑[一筆啓上]→成重6代城主。
 「一筆啓上」の短い書簡が現在の丸岡の町おこしの起動力となるとは 知る由もなっかった丸岡城の殿様。。後世に託した偉大な贈り物となっています。
 「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ、、、、

[写真]特産の織りネームの技術で描かれた丸岡城
(標高33mの小丘に建造)
 『丸岡町歴史民俗資料館
   中野重治記念文庫〜「梨の花」〜  「蕾めるものは 花さかむ 花さきたらば 実とならむ  [果樹園]
    ※〜小説家・評論家・詩人・明治35年(1902)〜昭和54年(1979)77歳没・高椋村(現丸岡町)一本田に生れる。

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火燈山  { 火燈山 } Mt.Hitomosi 801m
[地図]

 〜かって、豊原寺の山伏たちがこの山に登って護摩を焚いたからとか一向衆人が一揆の合図に烽火 (のろし)を上げたとか諸説がある。

 [写真]左は富士写ヶ岳、右は火燈山

吉谷の白山神社一帯には、中世に栄えたという吉谷千坊の跡がある現在は観音堂と不動堂だけが残り植林がなされている。 丸岡町山口から吉谷を経て山頂に通じる登山道があり、約3時間で登れる。
頂上直下の尾根伝いでは眼下に竹田川上流の龍ヶ鼻ダムを一望できる。
丸岡〜〜山竹田←→「火燈山登山道」看板←→登山口←→山口集落の白山神社←→吉谷集落(吉谷不動堂・長寿ヶ池)← →神社跡→→松木立ちの尾根道60分→潅木のコブ←→右下り〜水場/左登り〜尾根道40分〜←→観音堂← →頂上〜〜(小倉山910.6m)

 林道の入口はジャリの敷かれた方の入り口である。  古い標柱のある入り口ではない。また入り口の付近は林道は轍わだちがえぐれて、車には良くない。 この林道は作業用林道そのものであるので駐車スペースはあまりない。車止めまでは林道を歩くことにする。 話は火燈山にあと1.5Kmとある登山口から始める。
 そこまでの道のりは地図のように2通りある。どちらをとっても時間的には大差ないと考える。 この登山口から林道と分かれて山路になる。しばらく行くと右手に龍ケ鼻ダムと冠岳の方向が見えてくる。
 道は落ち葉がつもっているものの昔からあるしっかりと踏まれた道だ。標高650mまで登ると一息つける。
   ここからまたまた150mの登り。これはやや急登である。平坦になってしばらく行くと火燈山の頂上である。 約1時間、火燈山で一息つくと東の小倉谷山が誘惑してくる。行程20分で小倉谷山に着く。下りは足元、滑らない ように注意。なお、不動滝は参拝のためか、鎖がつけられ て滝上部の二段目まで登れるようになっている。
     ※火燈山・小倉谷山にプレート設置。
1994ー1(報告者・・・・32期生 神谷幹雄)

吉谷不動堂案内図によると、火燈山の隣山に「伏拝山」がある。
吉谷駐車場より護摩堂、長寿池を経て不動の滝・不動堂へ行くコースと、火燈山へ登るコースがある。

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冨士写ヶ岳  『富士写ケ岳』 Mt.Fujisyagadake 941.6m
〜「江沼富士」 〜
[地図]

 山中温泉から見る姿が富士のように美しい。《石川県山中町》
 江沼3山の一つ〜大日山、鞍掛山。
 片山津温泉・柴潟湖よりの眺望が富士山と似ている。
石楠花、ブナ原生林。岩うちわ。
山頂〜一等三角点・方位盤あり

 「枯淵コース」(家族向き)。P;枯淵会館横
    ・・・・大聖寺川・阿蘇橋より3.1Km  →県民の森
        頂上まで2時間  約5000歩。 1994ー5ー4
 阿蘇橋を渡ると登山口がある右に登ると鉄塔監視用専用道で鉄塔のところで行き止まる、左の山道を登り杉林を抜けると谷沿いの道にでる。
ブナの樹林帯に入るとやがて尾根筋に出る。尾根筋からは白山や加越国境の山並が見渡せる。 やがて待望の石楠花が尾根道のあちこちに散在し見事。椿も多い。
 頂上の手前に前山920mというピークがあり、頂上まであと僅か。
(展望)・・・・日本海・大日山・浄法寺山・白山・加賀平野を一望。

 「大内コース」・・・・福井から一番近いが荒れている。 頂上まで2時間。 大内峠 295m 大内谷川、

 「我谷ダムコース」・・・・急登。下山向。
枯淵コースで前山手前、標高820m位で我谷コースと合流する、下りをこのコースを利用することも変化があって面白いが、 相当の急坂で登りはきつい。
 道幅は広いが直線的急坂は単調。ここでも石楠花が多く見られる。 登り口に掛かるダム湖を渡る吊り橋はスリル満点。我谷吊橋ダムサイト駐車場。
  椿・石楠花

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丈競山  『丈競山』 Mt.Takekurabe 1065m
〜南丈競山/北丈競山 964.3m 〜
[地図]

・・・・南北2峰が背丈を競いあうように見えるから、竹田川源流
南丈競山1065m 北丈競山 964.3m
 南へ峰続きに浄法寺山へ。竹田より4Hr。

丸岡温泉「たけくらべ温泉」
 山口ダム・竜ヶ鼻ダム・・・・。

 竹田川渓谷 ∴釜ヶ淵。

 布ヶ滝、近庄峠、→浄法寺山


千古の家  『千古の家と六呂瀬古墳群』

 「千古の家」坪川家〜坪川但馬守貞純〜室町時代。 合掌づくり茅葺き・入母屋造、妻入。県内最古。重要文化財。

 六呂瀬山古墳群 「まほろば古墳群」 越しのまほろば物語。 〜丸岡町上久米田集落背後の標高196mの山頂に立地する古墳群。 福井を支配した大酋長の墓と考えられる[地図]

 わんかし山古墳・・・・継体天皇の息子の椀子皇子の墓?

 『豊原寺三千坊跡』 [地図]  〜丸岡町豊原
白山豊原寺と号し平泉寺と並ぶ白山信仰の巨刹の跡。
大宝2 (702)年泰澄が草創し、その後天長年中(824〜834) に昌瀧が中興。500余坊を建立したが一向一揆を防ぐた め信長により焼き払われた。現在は遺跡のみ。

 豊原寺表参道(六本木参道) 〜豊原の滝。 豊原鍛治〜馬面兜。
  『榎木峠』330m

 「称念寺」(新田義貞公の墓所)・・・・泰澄の草創721 ・・・・芭蕉句碑「月さびよ、明智が妻の咄せむ」
円光寺。本光寺?〜隠れキリスタンの灯篭〜
 「表児ひょうごの米」・・・・北横地・布久漏ふくろ神社
 「今川 節」・・・・ペチカの曲。
 「女形谷」 onagadani のサクラ・・・・継体天皇宮跡社内。江戸彼岸桜。

 ●周辺の見所:

 「総合グリ−ンセンタ−」(たまねぎハウス)緑化植物園。熱帯植物展示温室。
[ウッドパーク]


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