・日野山・越前の里・
FUWVOB:1998-12〜 福井大学ワンダーフォーゲル部OB会
日野山
福井市郊外(清水町)より見た「越前富士・日野山」の全容
越前富士・日野山の写真歴史探訪・武生
「越前の里」味真野苑 ●鬼ヶ嶽★深田久弥越前市】(武生市) 福井の山と半島INDEXへ

「日野山」795m〜越前富士  [地図]1/25,000地形図:武生(南東)

日野山 『雲はれて 仰ぐも高き 日永嶽 hinagadake(日野山) みどり匂へる 春日影かな』 松平春嶽
『奥の細道』〜白根が嶽(白山)かくれて、比那ひなが嶽あ わる。。。。。。
「あすの月 雨占わん ひなが岳」芭蕉

 「越前富士」とも言われる日野山は、その美しい姿が昔から歌に詩に詠まれてきた。
昭和33年には、武生の西の端にある河濯(かわそ)山境内に、紫式部の碑が2基建立された。 現在は、紫式部公園に移築されている。

その1基に『ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松にけふやまがへる』 と故谷崎潤一郎の麗筆で刻句されている。

『ふるさとに帰る山路のそれならば心やゆくとゆきも見てまし』紫式部。

★日野山は「比那嶽 hinagadake」・嵩。「雛ヶ岳」 日永ひなが 。小健山 otakeyama と呼ばれた。


日野山信仰の姿  ● 日野山は南越地方第一の名山で、古くから小健 otake 山の名で親しまれてきている。
 山頂からの展望は西に遠く日本海を眺め、東に加賀の白山、信濃の御岳、駒ヶ岳などの連峰を 見眼下には文殊山、部子山、白椿山などの山々を見渡せる。
この山頂には日野神社の本殿、南殿、北殿があって、これらの境内地は 4,000坪に達する。 更に麓の中平吹町には、本社殿、拝殿、絵馬殿などの境内地 1,000坪を有する古来の大社である。
東山麓の菅谷、北山麓の宮谷、荒谷には「下宮」があって、日野山信仰の姿を今もとどめている。 日野山には古くから伝わる行事として、未明登山(平吹コースのみ7月20日過ぎの土日) がある。
これは祭礼の一行事であってこの祭礼は御岳祭ともいい、古くは7月23日に、氏子と近郷各地 の信者が集団で登山したことに始まる。終夜かがり火をたき、このかがり火の見える所では、 松明 taimatsu をたいて火祭りしたといわれている。 現在でも、毎年8月23日の例祭に登山し、翌24日御来光を拝むならわしになっている。

弁慶の3枚切り 〜〜〜〜大比丘尼 oobikunikorobasi〜〜〜〜
昔、この御山は女人禁制で女子は登山できなかった。たまたま、尼僧(比丘尼)がこれに反して 登山したところここで神のお怒りにふれて転げ落ちたので、この名が生まれたと伝えられる。
「大比丘尼(おおびくに)転がし」。「小比丘尼転がし」。

〜〜〜〜長命水池〜〜〜〜
 昔、府中(今の武生)に簑屋というたいへん日野山信仰の厚い人が居て神様へお供えするお水を 汲む池を掘って奉納したいという一念から数多くの日数を費やして掘ったと伝えられる。
この水を飲むと生命が長らえると云うことから、この名が生まれたと云われる。

「弁慶の3枚切り」「焼餅岩」「石の唐戸」「室堂休憩小屋」。


深田久弥と日野山

『日野山はかねてから私の目を付けていた山だった。学生時代からの北陸線の往復で、鯖江、 武生の辺りから見るこの山の美しい姿に私は惹かれていた。
平野からすぐに立っており、車窓から目近に仰がれるので、高さ八百米の山とは思えない貫禄を そなえている。 当然昔からこの地方の名山である。こんな山へ登らずおくのは、私にとっては一 種の恥辱である。』 深田久弥


 日野山 登山コ−ス ・・・・もっとも一般的なコース

 
中平吹コ−ス》

JR王子保→日野川橋→下平吹→日野神社(境内に駐車可)→北陸道日野山トンネル上部→ 堰堤→階段まじりのジグザク登り→焼餅岩・石の唐戸→谷川→杉林→弁慶の3枚切り岩40分→ →丸太の階段→赤土の作業道→室堂(5合目)休憩所・水場450m→杉林の中の丸太の階段→ 比丘尼びくに 転ばし→長命水w.の標識→奥の宮鳥居→山頂広場。 登り:2時間5000歩

 JR王子保駅の東、日野川を渡り中平吹集落の日野神社が、このコ−スの登り口。
この付近の谷川には山椒魚がいるといわれている。左側に谷を見ながら登り始める。 5合目には小屋と水場があり、そこまで約1時間。頂上までの道標はよく整備されている。  頂上手前約200mの所に長命水と書かれた標識がある。 右に少し下がった所に湧き出ておりこれが頂上に最も近い水場となっている。

また、最近できた新しい道を高速道路の上からジクザクに送電線の鉄塔に向かって登ってもよい。 5合目の小屋(室堂)の手前でもとの道と合流している。 この登山道は尾根道で急だが見晴らしは素晴らしい。

以上、紹介した登山道とは別に、幅3m程の林道が頂上まで続いている。 これは56豪雪によって崩壊した日野神社再興の、資材荷揚げのため開かれたもので、 昔ながらの登山道を横切りながらジグザグに頂上まで伸びている。
5合目の小屋と長命水との間には、通称「比丘尼 bikuni ころがし」の異名を取る急斜面がある。 雨模様のときは、登り下りとも注意を要する。

南北にい細長い頂上には真新しい社が建てられている。社の下には、小さな広場と休息所が設けられて おり、疲れた足を休ませることができる。頂上付近の景観で素晴らしいのは、頂上より東に下った杉林に ある「天狗岩」だ。
 分かりにくい所にあるので見落とすかも知れない。下りはもときた道を戻るのが最も早いが、頂上から 北へコ−スをとり西谷神社へ下る方が面白いだろう。途中荒谷へ下る道もある。
 頂上から西谷神社まで約4kmで、1ヶ所急な所はあるが、道も割合によく、1時間20分位で下れる。
西谷神社から矢放−日野橋−JR武生駅と約5km、1時間少々で行ける。
日野橋を真西へ2キロほど行くと河濯山に出る。これを見て武生駅へ戻ってもよい。
[参考タイム]王子保→f.30分→中平吹→f.60分→5合目小屋w.→f.60分→日野山山頂→f.80分 →西谷神社 ・・・・・・登リ 2時間・一般向き

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 「日野山、只今」〜〜〜日野山は何と騒がしい山か? 山腹を貫く北陸自動車道の騒音や、山麓 武生市内の生活騒音など共鳴箱のように 跳ね返ってくるし、急勾配の作業林道が山肌を無残に削り、まさにハイカー転がしの感、遠くから眺めている分には素晴らしく秀麗な山ですが。 〜それだけに残念です。。
 ・・・・・【参考文献】日野山の自然
《西谷コ−ス》
奥西谷集落→一宮神社→「日野山道」標識→2本の鉄塔→荒谷コ−ス分岐点

《荒谷コ−ス》
 五輪塔板碑。荒谷水場。荒谷の滝。
荒谷の滝標識→荒谷集落→日野神社p.→日野山トンネル換気塔右→換気塔裏フエンス→ 「日野山登山道」標識→谷川沿→ジグザク登→f.30分→五輪塔→水場→西谷コ−ス合流点 →f.65分→山頂。 ・・・・・・登リ 2時間

《萓谷 kayadan コ−ス》
五分市本山口→萓谷→生活改善センターp.→登山口標識
水無瀬川。文室。萓谷〜日野山登山口。

(地名)王子保〜男大迹皇子(継体天皇)の集落の意か

 ※コースタイムについては個人差があるため参考値です。またコース状況も上り口で確認ください。道標は比較的に整っている方です。

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「越前の里」〜味真野苑

■ 越前の里・味真野苑 (余川町)   [地図]
 越前の里味真野苑は、各種の花が四季を彩る庭園で、苑内には重要文化財である旧他井口家住宅のほか、 万葉集の歌碑・資料館や無料休憩所万葉庵がある。旧谷口家住宅は、越前平野の19世紀前半の特徴を 示す角屋造りの民家の典型で、横市町から移築した。

武衛山 321m 〜味真野苑より散策できるコースがある。
 「武衛城」〜城主は越前守護職 斯波武衛義敏公で文明年間1470年築城。 城跡は四方見通し良く周辺は急斜面で容易に攻められない。周囲に土豪を掘りめぐらしたとか。

武生盆地)〜沈水盆地〜味真野〜文室 fumuro 川の扇状地 〜湧水〜伏流〜「味うまく」→味真野
味真野 ajimano )〜鞍谷川と文室 fumuro 川の扇状地。「文室川 fumuro」・・・・別名、水無川。
・・・・万葉集に残る中臣宅守なかとみのやかもりと狭野茅上(さぬのちかみ)の娘子おとめとの 恋愛贈答歌63首の舞台として、また継体天皇を慕う照日の前との愛の物語、謡曲「花筐 hanakatami 」の 舞台としても有名。

  「小丸城」(五分市)天正3年1975。織田信長の家臣佐々木成政の築城。
「城福寺庭園」(五分市)・・・・元禄。文室山を借景、枯山水築山式蓬莱庭園」
「野々宮廃寺跡」(五分市)白鳳時代の寺院跡

(五箇地方)〜不老、岩本、大滝、新在家、定友
「五箇ノ庄」〜越前和紙・越前奉書〜 古い町並が随所に残っています。
時水
時水 tokimizu」・・・・蓑脇町 太平山の中腹(標高約300m)(県指定名勝) taiheizan 中腹・標高300m・・・・2時間間隔で水が湧きだしまた止まるので「滝の音を3回聞くとお昼である」と里人達に語り継がれ、いつのころからか「時水」とよばれるようになったとか。 冷水間欠泉。環境庁認定「日本の音風景百選」に選定されています。 【写真右】

  「勾(まかり)の里」・・・・安閑天皇の誕生の地。扇状地の湧水多い。
  「イトヨ生息」。

「霊泉寺」(池泉町)・・・・10mの木製大仏。
「五皇神社」文室町・・・・男大迹皇子 ootono ooji (後の継体天皇)が味真野に住み学問所(文室)を おいて、学問に励み先祖をまつったのが始まり。「箒祭」4/18
「子安観音」文室・正高寺境内・・・・「よだれ石」
毫摂寺 gousyouji」・・・・清水頭町・樹齢250年ヤマモミジ。与謝野鉄幹・晶子の歌碑。
「大塩八幡宮拝殿」(国兼町) 890年
  社記によると寛平3年(891)京都石清水の八幡神を勧請した古社で、以来朝倉氏はじめ武将の 崇敬があつかったといわれている。拝殿は、室町期の建物で国の重要文化財に指定されている。

周辺の山々
 ● 唐木山〜〜〜738m〜〜岩谷山〜〜 709m〜〜武周ヶ池
 ● 鬼ヶ嶽〜〜〜 533m〜〜大虫神社・大虫廃寺塔跡
 ● 金華山〜〜〜 398m〜金華山グリーンランド
 ● 村国山〜〜〜 239m〜芦山公園
 ● 大平山〜〜〜 612m〜時水
 ● 妙法寺山〜〜 235m〜
 ● 野見ヶ岳〜〜 678m〜武周ヶ池
 ● 矢良巣岳〜〜 473m〜
 ● 茶臼山〜〜〜 103m〜 茶臼山古墳群
 ● 武衛山〜〜〜 321m〜 武衛山城跡
 ● 船山〜〜〜〜 73m〜(古墳)


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