・・小京都 小浜市と周辺の海山・・

花崗岩の大海蝕崖として有名な蘇洞門、 野猿の群生する内外海半島など嶺南の海岸線は、典型的なリアス式海岸で、
 若狭地方は、古い文化財にめぎまれた地域でもある。奈良、京都との結びつきの強かった小浜市は 「海のある奈良」ともいわれ、
羽賀寺、明通寺、天徳寺など奈良、平安時代の文化をしのぶ優れた文化財が 自然のたたずまいの中にひっそりと残されている。

FUWVOB 99.10.24    福井大学ワンダーフォーゲル部OB会   福井の山と半島INDEXへ
青葉山・ 大島半島・蘇洞門・鯖街道頭巾山小浜市[地図]

人魚と久須夜ヶ岳 久須夜ヶ岳 619m くすやがだけ
  〜"kusuyagadake"   
[地図]

 小浜市街地の真北に聳える山で、同時に小浜湾を北側から囲む「内外海半島」を形成している。 この久須夜ヶ岳の北は外海に落ち込む断崖絶壁で日本海の怒涛に洗われる天然の要害。 「蘇洞門」もそのひとつで陸路は無く船で眺めるだけです(波の穏やかな時は接岸できます)。

 ★ エンゼルライン〜 久須夜ヶ岳頂上まで車で快適なドライブが出来ます。
 ★ フイシャーマンズワアーフ〜蘇洞門巡りの舟の発着場で海産物などのショッピングも出来る。

雲浜獅子  ★ 雲浜獅子[絵] ・・・・、「雲浜獅子舞」城主が川越から移封された時、川越の「ささら獅子」の演技者と共に移住・獅子舞を広めたとされ、 地域の名前を取って「雲浜獅子」とされたとか。(福井県の無形民俗文化財)
 ★ 放生会・放生祭 ほうぜい
 ★ 小浜城跡 [地図]
 ★ 梅田雲浜

 ★ 小浜公園〜青井山152m、山川登美子歌碑 「いく尋のなみは帆をこす 雲に笑み 北国人とうたわれにけり

街角1  ★ 後瀬山歴史街道〜格子戸の路地が続く街角散策
 「君なきか若狭のとみ子しら玉の あたら君さえ砕けはつる」与謝野鉄幹(街角の道しるべ)
 ★ 後瀬山 224m〜後瀬山城(武田城)

 ★内外海半島。阿納尻。獅子ヶ崎。
  ∴蒼島暖地性植物群落。
 ★田烏たがらす海岸〜「沖の石」〜
「我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らぬ乾く間もなし」 二条院讃岐・百人一首

 ★ 「 小浜湾
 日本列島のほぼ中央、京都の真北に位置する「若狭湾」。
そのほぽ中央に、カニのはさみの様な左右2つの半島(左は大島半島、右は「内外海半島」(久須夜ヶ岳)に囲まれた湾が、「小浜湾」です。
ちょうど小浜湾を両手で抱いているようにも見えます。

蘇洞門  「蘇洞門」"sotomo"

 ∴蘇洞門 〜久須夜ヶ岳の裾、柱状節理花崗岩断崖、大門・小門・碁石浜・獅子岩・屏風岩・吹雪岩

「蘇洞門そともの名前は?」
「そとも」とは、「内外海半島」の内側の「小浜湾」に対比して外海の「若狭湾」を「外の面」と書いて 「外面」というのが本来の意味ですが、その「外面」にこのような美しい海岸線があるところから、 いつしかこの海岸線をこのような漢字を当てはめ「蘇洞門」と呼ぶようになったといいます。
 また名勝「蘇洞門」には、それぞれ「大門・小門」「夫婦亀」等の名前が付いています。

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〜〜「海のある奈良〜散策」小浜の国宝巡りなど 〜[小浜市観光案内]

明通寺(真言宗御室派)〜 小浜市門前〜大同元年(806)坂上田村麻呂公の創建
明通寺  北川支流の松永川上流にあり、1000年の歴史を秘める。806年征夷大将軍坂上田村麿が 北陸巡幸の際ここに一宇を建てたといわれている。
境内には本堂、三重塔(裏日本随一の国宝三重の塔)、山門、客殿、庫裏が建てられ、本道と三重塔は鎌倉時代頼禅法師が中興した 当時の遺構といわれ国宝に指定されている

萬徳寺〜(真言宗高野山派)〜 小浜市金屋
 もとは極楽寺と称し、後に再興され真言宗本寺の資格を得て万徳寺と改称、現在に至っている。
 庭園は延宝5年に作庭されたもので埋石式庭園として地方色濃厚な、蓬莱枯山水で庭園は名勝で 「山もみじ」は天然記念物である(根元の回り3.54m、樹齢450年以上:もみじ・10月下旬〜11月中旬) 。

神宮寺(天台宗)若狭彦神社別当寺神宮寺〜 小浜市神宮寺
 和銅年間の創建といわれ、現在の本堂は天文22年に朝倉義景が再興したもので、重要文化財に 指定されている建物は桁行5間、梁間6間の単層寄棟造で、屋根は檜皮茸の堂々たる大建築で、 それぞれよく室町時代の特質を発揮している。

国分寺(曹洞宗)〜 小浜市国分
 奈良時代聖武天皇の勅願で建てられた若狭国分寺跡で、境内には江戸時代再建の釈迦堂薬師堂があり、 薬師堂には、鎌倉時代の作である木造薬師如来坐像が安置されている。
また釈迦堂には、若狭では珍しい大仏が安置してある。

妙楽寺(真言宗高野山派) 小浜市野代
 多田ケ岳の西ふもと、元正天皇の養老3年、僧行基が千手観音を掘って安置しておいたのを、 桓武天皇の延暦16年に至り弘法大師巡歴のみぎり山中より光明発するをみて千手観音を発見し、 伽藍を建立したのが当寺のはじめである。

若狭彦・姫神社 小浜市遠敷
 それぞれ上社、下社といい、古来から若狭一の宮として名高い。  上社の本殿は三間社流造茅葺に対し、下社は三間社流造檜皮葺である。
社殿はいずれも江戸時代の建築で、上社の例祭は10月10日、下社の例祭は3月10日に行われる。

小浜城祉 小浜市城内1丁目
 小浜城は慶長年間、京極高次が築城なかばに移封となり、酒井忠勝公が完成させた。
天守閣は江戸城富士見やぐらを模したといわれているのが現在は石垣を残すのみで、当時の面影はない。  旧城内には藩祖・酒井忠勝を祀る小浜神社がある。

八百比丘尼入定洞 小浜市男山・空印寺
 勢浜の高橋長者の娘で、斉明天皇の白雉5年に生れ、宝徳3年京都に行き、後若狭に帰って八百歳で この岩窟に入定した。岩窟の入口には、八百比丘尼のかたみといわれる椿が今も残されている。

*若狭の八百比丘尼が長寿をえた話は有名で、福井県小浜市の空印寺(くいんじ)の洞窟に住み、 容貌は美しく、15、6歳に見えたという。若さの保持は禁断の霊肉である人魚の肉あるいは九穴の貝 (アワビ)を食べたという。
隠岐島には八百比丘尼杉があり、大宮市の慈眼寺仁王門のかたわらの巨大なエノキは若狭の八百比丘尼が 植えたという。・・・・写真:小浜湾を背景に人魚が海岸に置かれていることが、ここで結びつく。

http://server1.seafolk.co.jp/~enigma/mermaid.htm

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多田ヶ岳 『多田ヶ岳』 712m [地図]

〜〜小浜の守護神のごとく、堂々とそびえる風格ある山。
参考コースタイム
○登山コース/林道のはじまり(歩1時間20分)小さなコンクリートの橋(歩50分)分岐(歩40分) 山頂(歩10分)分岐(歩2時間50分)瀬波戸の滝
 上り:2時間30分〜〜  下り:3時間
小浜市の南東に位置する多田ヶ岳
山麓には神宮寺、若狭彦神社、多田寺、妙楽寺など名だたる 神社仏閣が点在する。
山頂に続く多田川に沿って始まる多田林道は見晴らしの良いスポットがあり、 多田ヶ岳山頂を望むこともできる。
山頂からの展望は大変素晴らしく、東は敦賀半島から西は青葉山 まで若狭一帯が見渡せる。
ただしヤブがひどく道がわかりにくいのが難。地形に詳しい人、もしくはこの山の登頂経験者と登る ことをおすすめする。 http://www.kepco.co.jp/localinfo/wakasa/tanpou/108/tada/tada.htm

多田寺〜多田ヶ岳のふもとにあり、多田ヶ岳は、役の行者(神変菩薩)が若狭修験の根本道場として 百々日の修業を行ったといわれ、医王山多田寺は真言宗金剛峰寺末、奈良時代勝宝元年(749)孝謙天皇の 「医王閣」の勅願により勝行が建立したと伝え、十二坊がならび朝廷より寄進の水田十六ヘクタールが あったが、江戸初期の二度の大火のため衰微し、現在の本堂は江戸末期の建造物で江戸建築の代表的な物 である。

飯盛山 いいもり 585m
〜仏供椀に盛り上げたご飯のようなまる味のあるずんぐりした山。
      飯盛寺キャンプ場。
百里ヶ岳 931m・・・・お水送りの「鵜の瀬」の遠敷川の頭(源)
〜(根来岳)上根来の林道終点より1時間 ホンシャクナゲの自生地。
針畑峠(根来坂)京都への最短街道〜御休み石・宮様石

駒ヶ岳 780m  上中・熊川宿より河内谷へ、河内温泉の奥にあたる。
〜丹波地帯古生層、山容が馬の背のような形。 木地山峠。
http://www.kepco.co.jp/localinfo/wakasa/tanpou/114/komatake/komatake.htm

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お水送りお水送り(鵜の瀬)〜 [地図]

 小浜市鵜の瀬〜神宮寺若狭井〜日本名水百選〜神宮寺(お水送り神事・遠敷川鵜の瀬 →奈良東大寺・お水取り)

 その昔、鵜の群が遊んでいたというのでこの名称が付いたといい、奈良・東大寺二月堂のお水取りは 若狭井の水源地として知られている。
 毎年3月2日、この鵜の瀬で行われる”お水送り”の香水は、鵜の瀬の水が奈良へ送られる。
 若狭地方では”お水送り”が終ると春が来るとされている。
 ※ 神事のクライマックスは、夕闇に暮れた午後6時頃から始まります。 小浜市の南部にある神宮寺で焚かれた大護摩から火をもらって、山伏姿の行者を先頭に、ほら貝の音がこだまする中、松明行列が、約2Km上流の鵜の瀬へ向う。 この行列は幻想的で勇壮です。鵜の瀬では護摩が焚かれ、ここで”お水送り”の神事が行われる。 白装束の神宮寺住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぐ。。。。

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