●深田久弥と当会●
深田久弥先生と当OB会との接触はコースガイドブック「福井の山と半島」の発刊にあたって
福井との関係で、本の巻頭に原稿を寄せて頂いたことです。
今となっては貴重な文献となるので、ここで巻頭言の全文を紹介します。
{歩く喜び}・・・・原稿
・封筒
私が歩く楽しみをおぼえたのは、福井中学(藤島高校の前身)の1年生1学期の試験の終わった日、
福井から故郷の大聖寺へ歩いて帰った時ではなかろうか、と今になって思う。正午すぎ福井を出て、
森田、丸岡、金津を過ぎ牛ノ谷峠を越え大聖寺に入ったのは、夕方の7時頃であった。
約8里の道のりをただ一人、幾らかの不安と幾らかの冒険心を抱きながら、小倉服の肩にカバンを下げた
13歳の少年がトットと道を急ぐ姿が、今私の心に浮かぶ。歩いて帰ったと知って家のものは驚いたが、
私にも何か一つの事を成し遂げたという気持ちがあったのだろう。歩く事に自信がついた。
と同時に歩く楽しみを覚えた。
それ以後中学在学中、私は実によく歩いた。その後使った参謀本部の5万分の1の地図(現在の国土地理院の地図)
が手元に残っているが、無数に赤線が引かれているのは歩いた道である。図幅で言えば、大聖寺、永平寺、
三国、福井の4枚が、私の領分であった。
もちろんその頃はバスどころか、普通の自動車さえ見かけることがなく、歩く前をハンミョウが飛び、
かたわらの小川に目高が群れていた。まだリュックサックというものも知らず、大ていはワラジばきであった。
私の山登りもその頃より始まったが、学校に山岳部というものはあるでなし、また一般にも今日のような
登山の風潮はなかったから、自分で地図を案じながら登るのが常であった。
それから40年たった。もう今では車の幅のある道ならどんな山奥へもバスが通い、昔のようにのんきに歩く
楽しみはなくなった代わり、行動範囲が広くなった。登山の施設も整い、本書のようなガイド・ブックまで
出るようになった。
福井県の山々は私にはなじみ深い。中学生の頃はそう遠くまで足を伸ばすわけにはいかなかったから
登り残した山も多いが、もし今の便利な時代に福井の学生であったら、このガイド・ブックを頼りに片っ端から登ったかもしれない。
私が広く日本の山へ登るようになったのは東京へ出てからで、それまでは郷土の山に限られていた。
見える山々を一つづつ登り了せて行くのが無上の楽しみあった。山がどうのこうのという理屈ではなく、
ただやみくもに登った。登っているうちにだんだん山に対する目がひらけてきた。
何事であれ、若い間はただやみくもに執する時代があって、そのうち選択と好尚が現れるものでなかろうか。
もしこのガイド・ブックの活用者から真の大登山者生まれてきたら、どんなに愉快なことだろう。
(元、日本山岳会副会長)
深田久弥・山の文化館
※ガイド・ブック「福井の山と半島」は昭和45年に初版を発行しています。
その後3版まで版を重ねましたが現在は廃版になっています。
今後はインターネットで逐次公開して行く予定です。
書籍・資料・・・・・地元文献
書 名 題 名 作 者 出版社
福井カメラ風土記1 八木源二郎 品川書店
越前若狭歴史街道 上杉 喜寿 しんふくい出版
九頭竜川 大島 昌宏 新人物往来社
若狭日記 水上 勉 主婦の友社
わが白山連峰 長崎幸雄 山路の会 北国出版社
越前若狭 山々のル−ツ 上杉 喜寿 福井新聞
登ってみね福井の山 福井山歩会 福井山歩会
石川県の山 分県登山ガイド 林正一ほか 山と渓谷社
いしかわの自然百景 石川県自然保護課企画 橋本確文堂
福井の山150 増永 迪男 ナカニシヤ出版
北陸の自然誌 山編 星見 信生 巧玄出版
北陸の自然誌 野編 星見 信生 巧玄出版
北陸の百山 朝日新聞 能登印刷出版部
ふくいの巨木 福井県自然保護センタ-
ふるさと福井の自然〜湿原編〜 森遊特別号 福井県自然保護センタ-
ふるさと福井の自然〜福井の高山植物 福井県自然保護センタ-
立山と花 2 土肥 行雄 立山の花グループ
「宝」福井の宝”自然編” 誇りの国福井デザインコミュニティ
ふくい宝ココロ の旅 誇りの国福井デザインコミュニティ 誇りの国福井
角川日本地名大辞典18 福井県 角川書店
観光レジャ-ガイド ふくい 福井県観光連盟
能登北陸 JTB新日本ガイド 13 日本交通公社
福井県の歴史散歩 新全国歴史散歩 山川出版
福井県観光パ-フェクトガイド 中日新聞本社編
本の中のふくい 和田 稔 福井新聞
本の中の福井 2 和田 稔 フエニックス出版
『越前若狭』 旅の手帳臨時増刊 弘済出版社
|