随想1 「山の讃歌」
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ぶなの春 ブナの森の春

 身をくねらせて
 どっしりと立つ
 なめらかな木肌のブナ
 誰かが居るような
 誰かに似ているような
 何かしているような

 ブナを見ていると

 芸術の心が騒ぐ
 ブナは偉大な芸術家である

 ブナの森の春は
 幹の回り雪をまるくくり抜き
 時折固い残雪を払い除け
 若木が跳ね上がる

 バサッという音
 静かなブナの森に
 春を呼んでいる



水芭蕉
  『水芭蕉

  雪の消えた湿地
  水底に押しつぶされ
  沈殿した枯れ草を分け
  白い大きな花包が
  にょきと顔を出す
  尾瀬に劣らぬ
  取立山の水芭蕉
  いつの間にか
  初夏を感じる
  山のひととき


釣り舟草
「釣り舟草」の思い出

      山間の日陰に群生する紅紫色の花で柄に垂れ下がった帆掛け船を釣り下げたように見えることから 名づけられたそうであるが、私にはフグ提灯の様にも見えました。
中学生の頃、植物採集で見つけたもっとも印象に残る花で、その特異な形が町中育ちにとって、 山野草という言葉も知らない中学生にとっては高山植物でも見つけたかのように興奮したものです。

町を離れて野に山に・・・・山野を歩き回る楽しみを知り始める頃に出会った花として、 また友達と永平寺まで足を延ばしたことの喜びと共に、 群生している釣り舟草の花が永平寺の谷間をピンク色に染めていたのが思い出されます。

釣り舟草
武周ヶ池の『釣り舟草』

      大学時代に 六所山登山コース開発で何度も来た武周ヶ池を久々に訪れ、 ン十年ぶりにもかかわらず時間が止まっているかのような同じ光景に接しタイムカプセルの蓋を 開けた様な気持ちを味わった。
 その湖畔の山陰に群生しているピンク色の釣り舟草にまじり黄色い釣り舟草の花を見て、 昔々中学生の時に名も知らぬままに見覚え脳裏に残像していたその花が呼び覚まされた様に 一瞬不思議な心象風景の世界が展開して行く秋の昼下がりでした。
 静かな湖畔、一番奥には懐かしい六所山、いつまでもそのままでいて欲しいと願いつつ。。

・・・・・・解説・・・・・・  「釣船草」・・・・柄に垂れ下がった花の姿が帆掛け船を釣り下げたように見えることからの名である。
 各地の渓流のほとりや山野の湿ったところに多く見られる。
高さ50センチほど。初秋の頃直立した柔らかい 茎の先に花茎を伸ばし、径3センチ ばかりの紅紫色の花を 数個づつ集めて開く。
 花の下に3つのガク片があり、うち下方の一つは筒形で後方に突き出して、とがった先端は巻いている。 細い紡錘形の果実は、ホウセンカ(鳳仙花)のように、塾するとはじけて種を飛ばす。福井新聞より

ツリフネソウ Impatiens textori Miq 釣り舟草 touch-me-not balsam(私に触れるな)
〜熟した朔果が手を触れると種をはじき飛ばすところから。
 


武周ヶ池』のほとりにて。

 武周ヶ池は   FUWV部草創期に深くかかわり合うことなった六所山を眺望する格好の場所である。
  V字型の谷にできた静かな池。湖面の果てに突出する富士山のような端正な姿の山が六所山です。
  40年前に見た光景がそのままの状態で、なぜか時間が止まっている様で、不思議で、なつかしい。
 この光景が   六所山登山コース開発の動機になり、数年の歳月をかけ、数期にわたり多くの部員が汗を 流すことになったことを思うと感慨無量。
  それだけの吸引力か魅力があったのだろう。   開通したばかりのこのコースを。金沢大WV、富山大WVの仲間と、ここを通って越知山と六所山に登山した。
 そんなことをこの湖畔で釣りを楽しんでいる人達は知る由もない。 1994-10-22 OBだより掲載
釣り舟草
  ・・・・・・[武周ヶ池の伝説]・・・・・・

 武周ヶ池は、東西100m、南北1527m 周囲2.6Km 面積 10万2000平方メートルあり、茗荷(ちゃに)川が南端から注ぎ入れ北端から流出している。
  昔この地に奥武周という17、8戸の百姓と一つの寺があった。村の東側に天賀峯という山があるが、この山が天正18年(文録3年ともいいあるいは太閤検地の3年ともいう)12月始めから、しきりに鳴動し村人達は不安であったが、たまたま、庄屋の嘉右エ門という者に「近く山崩れがあるから村人を 誘うて避難せよ」という夢の告げがあったので嘉右エ門は村人を誘うたが一人も従う者がなく嘉右エ門夫婦だけが牛と水がめと茶がまをもって下流の二ツ屋村へ避難したところ、その月の14日、一大音響とともに山津波が起こり、奥武周が全滅した。
 その後、巳の洪水が起こり池を成したと伝えられているから、この洪水は文禄2(1593)年か慶長10(1605)年であろうと思われる。
 この山津波で谷を塞ぎ洪水で池を成したのが武周ヶ池だと伝えている。

  現在「抜け山」という山が谷を塞いだ東山にあるのがいかにも昔、山津波で抜け落ちた様な急な傾斜をしている。
  二ツ屋村には「ホウチン」「ドウサイ」の2戸があったが嘉右エ門が避難して3戸になりその後、追々増加して現在17戸になっている。
 それから山津波で全滅した奥武周の人々の霊を弔うために、今なお10年毎に法事供養を行っている。
 なおこの池は昔今立郡五箇ノ庄大滝村の若い女が入水して大蛇となりいまもすんでいるといわれている。
(・・泰澄大師が越知山に篭もって修行した頃はこの池はなく谷間の地であったことになる。)


 「ワンダーフォーゲル」との出会いから。
ワンダラー
町を離れて、野に山に 。。。。。。ふとしたことから本屋で 手にした確か「ワンダーフォーゲル手帳」とかいう本で WVを知って「これだ!」と決めた。
当時、山は対象の 一部でしかなかった海よし、未知の町や村もよしで、全てが珍しく、未知の世界を 貪欲にむさぼりたかった。
 山との深い付き合いは後になってからのこと。
 未知の世界へのどん欲な程の探求心が山野を駆け回る面白さに、そして高い山の荘厳さに心打たれ、 次々と登る山行きに変わり、気がつくと近ごろは、量より質にと、ゆっくりと、気ままに四季折々の風情を 味あう様な散策歩きの今日この頃。
遠くから眺める山並にも、登る以外に、描く山になったり、写真の山となって再発見し、感激を新たにしている。

悠久にして不動の山、開発による便利さの享受と引換に人為的に改造整形された山、 年とともに変わる、人それぞれの山、更に歴史の中で位置づけられた山。
変わらないものと、変わるもの、変えて良いものと、変えてならないもの、 それを山から学んでいるようなものです。


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