FUWV部50年のあゆみ・部誌「渡り鳥」2・3号

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 1) 「渡り鳥」発行に当りて   2代目部長 沢崎哲郎

 1960年も明け、我々は、スキー合宿を心待ち比していた。ところが雪が降しない。そのため 、合宿を中止せねばならなかったことは、実に残念であった。雪の降るのを待つ外はない。
 ところで、昨年十二月中旬頃から準備にかかっていた、部誌「渡り鳥」2・3.号が、ここに 漸く発刊されたことは、せめてもの慰めであったo 
 昭和三十三年度は、六所山開発開始、関西学院Wとの合ワン、三方五湖、黒部峡谷(第一回 北陸三大学合ワン)、三十四年度は、ワンダーフオーゲル展(大学祭)、部子山、焼山、火 打山、荒島岳、第二回北陸三大学合ワンと、我々は一歩一歩前進を続けて来た。特に、昨年は 我が六所山に、第二回北陸三大学合ワンとして開催し得た事は我々の最大の収穫であり、最大 の喜びであった。今後とも、六所山の開発、管理を続けることは勿論、他の方面にも大いに意 欲を示し、益々活勁せんと決意している次第である。
 本年は、我が部創立以来はじめての卒業生を出さんとしている。卒業生諸君は、クラブ発足 当初から、幾多の困難と試練を切り抜けて、今日の基礎を築き上げられたのである。
我々部員は、心からなる感謝の念を吟じ得ない。先輩諸君、今後とも、より一層の御指導、御 支援をお願い致します。我々も、先輩の志を受け継ぎ、福井大学WVの充実発展にカーぱいの 努力を傾ける決意であります。「渡り鳥」が、卒業生諸君へのささやかな贈物となれば幸いで ある。
    ・・・・・部誌「渡り鳥」2・3号 S35(1960) より
文集1FUWV部50年の歩み沿革
部誌2/3号合併号
〜部誌2〜3号合併号
  • 黒薙川・小川温泉
  • 三方五湖・六所山開発日記
  • 部子山公開キャンプ
  • 奥越公開キャンプ
  • 紀伊半島ワン・卒業生懇談会
  • 表紙題字:長谷川万吉元学長筆


  •  2) 「西方ヶ岳」   笹木洋佑  (卒業生寄稿より)  [地図参照]

     西方ケ岳は敦賀半島にある山の一つです。この他、敦賀半島にはサザエ岳、三内山などがありま寸が、 西方ケ岳は一番高く、敦賀半島の代表的な山と言えます。
    北陸線で旅行すると、杉津駅付近で敦賀湾をへだてて正面に見える山ですから、御賢にたっている方は多いでしょう。  わずか七六四メートルの低い山ですが、県内の山では私の最も好きな山の一つです。
    福井から近く、そして千メートルをこえ、ちょっと高い山の感じがする浄法寺山も好きな山ですが、頂上から敦賀湾や若狭湾の 海がぐるっと見下ろされ、水鳥や丹生の入江、敦賀の市街、三方五湖が目に入る西方ケ岳頂上での眺めは飽く事を知りません。 また、何度登っても気を新たにする眺めです。

     それに、私には、この西方ケ岳が山の教訓を身をもって教えてくれた山でもあるのです。
      一、装備はいかなる場合も十分に
      一、慢心して自分の力を過信するな
      一、予定の行動を途中で変えることはやめよ。
    と。

     それは一昨の5月、今はやりの敦賀湾の裏側、丹生から一泊の予定で登る計画をした時のことでした。
    私はあるわけがあってパーティから一人遅れてまいりました。この時は同じ汽車に乗ったのを途中から引き返したので、 なるべく早く追えるよう、装備はパーティーに預け私の持ったものはその日の弁当だけでした。最初の予定では、皆と別に 敦賀湾側の常宮から登り頂上でパーティーに会うことにしていたのですが、敦賀についてみると常宮行のバスがなかったので 同じコースでパーティーを追うことにしたのです。パーティーとは3時間の遅れでしたが、持ち物もなく、ただ一人のことですから 追い付ける自信はありました。私丹生までに道を、なかば走るように急ぎ、丹生からは、部落の人にパーティの消息を尋ねながら山に入って行きました。途中パーティの足あとを見つけ勇んだ私でしたが、炭焼きのための道が多く、 いつか雑木林の中に迷い込んでしまいました、 しかし私の心の中には、こんな小さな山のこ と、尾根まで出れば何とかなるという気があったのです。
    雑木杯の中をやぶこぎして上の方へ、上の方へと急ぎました。しかし、尾根 と思える所まで登ると、またその先に高い尾根があり、これをくり返したあと、ついには 前へ進むも、後ぺ引き返すもでぎぬ程疲れててしまいました。そしてその頃には、もう、 うす暗くなってきでいました。そこにビバークすることも考えましたが、何の装備もないの でぼ考えるだけむだでした。.結局、やっと見つけた谷川に沿って、暗ぐなってから丹生の 部落にたどりつざ、その夜は一軒の農家に世話になって、翌日馬背峠をへて常常に出、そ こから登る途中で、下山してくるパーティと会ったのです。本当につらい思いをした登山 でした。又皆に心配させた登山でした。
       ・・・・・部誌「渡り鳥」2・3号 S35(1960) 

    敦賀半島FUWV部50年の歩み沿革



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