・・今庄宿・木ノ芽峠・板取宿・・
福井大学ワンダーフォーゲル部OB会
FUWVOB:1998-12〜
夜叉ヶ池藤倉山・鍋倉山・燧ヶ城址ひうち・北陸道・板取宿・ 福井の山と半島INDEXへ

今庄宿  今庄宿〜いまじょうしゅく〜 [地図]
・・・・今庄町北陸道の峠越えの宿駅として栄えた。

 ★ 今庄町は、いにしえの昔から京の都と北陸を結ぶ交通の要所として、いろいろな旅人や物資が通過し、大いに繁栄し多くの歴史を刻んできた。 今は北陸道はここを迂回して、JR北陸線はローカル車のみが停車する程度で、静かな山里になっているが、ゆっくり歩くと北陸道の歴史の跡を 随所に見ることが出来ます。

☆ 「ひうちヶ城址」Hiutigajou 267m
 木曽義仲が築城(1183)。義仲の軍勢は、平氏軍10万と戦った際、平泉寺の長吏斉明の裏切りにより敗北した。源平盛簑記には「北陸道第一の城郭なり」と唄われ、今も砦や本丸跡には石垣、その周囲には空堀や切り堀などがある。 ■今庄町今庄

  ・・「義仲の寝覚めの山か月かなし」芭蕉

〜藤倉山東端、源平時代。寿永2年(1183)に木曽義仲が築城篭城した古戦場。
北陸道第一の城郭なり(源平盛衰記)
[観音堂]左から山道を15分ほど登ると頂上にでる。 通称、愛宕山(270m)山頂にある。戦略上の要地。
物見櫓跡。堀切跡。土塁。石垣などが残る。・・

☆ 『藤倉山』 643.5m・・・・・・燧ヶ城址→藤倉山(ブナ林)→鍋倉山ハイキングコース・・・・・・ ;60分 [地図]
「白髭神社」→藤倉山(ブナ林)・・歴史散策コ−ス・・林道;60分・・・・藤倉山 644m 登り口;1時間
新羅神社→燧ひうちヶ城址・・・・ハイキングコース;30分 藤倉山まで山道あり。

☆ [幻の光明寺]・・・・藤倉山、鍋倉山一帯には、豪壮な光明寺本堂を中心に天台宗の一千坊が、山に、谷にと棟を連ねていた。
   「明治殿」(公徳園)・・・・福井藩本陣後藤覚左エ門家の屋敷跡。明治天皇のお泊まりの居室を移設。

  「追分塚」文政の道標・・・・文政3年1820。街道塚。 「右京・わかさ」若狭街道・木の芽峠 「左江戸・いせ」北国街道経由東海道。

☆『湯尾峠』・・杣山城の外郭の戦略地点 ・・ 〜峠南に「八十八ヶ所霊場」・・北に三十三ヶ所に行く道あり。・・
  「月に名を つつみかねてや 庖の神」芭蕉。

「観音堂」・・・・越前28番札所。
今庄サイクリングセンター 0778-45-0073〜 Fax.0778-45-0009

☆ 「石楠花しゃくなげ」 「栃ノ木」 鮎吊リ 吊し柿、椎茸。酒造。そば道場(大門)

木ノ芽峠  ★ 木ノ芽峠 628m 〜 [地図]
→木の芽古道→敦賀新保・・・・北陸道。

木の芽城址、観音寺丸城址、西光丸城址 「木の芽川」。新保陣屋。
。 水戸浪士。明治天皇。朝倉討伐の秀吉。織田信長。連如。 新田義貞。紫式部。紀貫之906。芭蕉。道元。紫式部。

☆ 「鉢伏山はちうすやま 762m 鉢伏城址。観音寺丸城址。展望台
今庄と敦賀の境にあり、昔から北陸道として往還の道となっていた。
福井県を嶺北と嶺南にわける分ける地である。1200年の間越前の表玄関としての番所があり前川家がその任にあたった。 この一帯は度重ね古戦場として使われ一向一揆の頃の城祉が多く、歴史的にも非常に興味の持てる峠でもある。
「道元禅師碑」〜峠には茶屋があり、その前には永平寺を開いた道元禅師の碑が建っている。

峠の茶屋」(前川家)1600年頃・・・・豊臣秀吉の金の茶釜

昔の言奈地蔵 ☆ 『言奈地蔵ゆうなじぞう
   昔、権六という馬子が峠で旅人を殺し、地蔵を気にして「言うなよ」と言い残して逃げた。 後年、この峠で殺した旅人の息子に会い、因縁におののいて、進んで仇を打たれたという。
※ 365スキ-場の中を通る足谷林道にて登り広域基幹林道

☆ 「今庄365スキ−場」〜福井より往復 100Km
ロッジ゙365 温泉保養センター0778-45-1114 温泉給湯スタンド。

☆ 「鹿蒜かひる」険道(→木の芽古道) 鹿蒜かひる川 円覚寺 「鹿蒜かひる神社」加比留神社。養蚕の神。帰山。 「こつらの湧水」南今庄の北300m。安産の神。不動明王。
  『山中峠』389m〜鹿蒜街道(帰山道)。敦賀−今庄。 木ノ芽峠ル−トが出来る迄。(万葉古道

 木の芽古道(→木の芽街道)
木ノ芽街道」・・・・敦賀新保→木ノ芽峠→二ツ屋 「往還一里塚」・・・・(二ツ屋)
「大桐」 「一ノ瀬山荘」(二ツ屋)
「栃の木−山中線」に合流し、木ノ芽峠直下まで車で行ける。駐車場あり。
「今庄365スキ−場」〜福井より往復 100Km
ロッジ365 温泉保養センター  0778-45-1114 温泉給湯スタンド゙。

板取宿 板取宿〜栃の木峠越えの北国裏街道の宿駅。

 〜由来〜 戦国時代までの越前への街道は山中峠を越える   古道(万葉集)と木の芽峠を越える北陸道(西近江路)だけであった。 柴田勝家が北の庄に封じられ、岐阜安土に赴く最短路として、天正六年栃の木峠の大改修を行なって以来、人馬の往来は頻繁となり、 越前南端における重要な関門の地として、板取宿を置き、宿馬30頭、人足60人が常備され、近江越前の交通に備えられ、板取宿はこの北国 街道(東近江路)の玄関口として、あるいは両国の要の宿として、発達したのである。藩政時代には家康の子、結城秀康が、入国以来関所を設けて往来者を取り締まった。
後に板取番所として藩士が駐在した。番所の構造は広壮な門構えの内に、間口三間奥行三間の平屋建ての棟を設け、 弓、弓矢、火縄銃、具足を備え、役人3人、足軽3人が常駐し、厳重な警戒に当たっていた。板取には、問屋を始、 七軒の旅籠、六軒の茶屋のほか、籠立従事の家が立ち並んでにぎわったという。今も甲造り型や、妻入り型の茅葺の 民家が昔の面影をそのまま残している。
(上板取)「宿場の里」〜江戸中期の民家。

☆ 「北国街道」(東近江路)
   『栃の木峠』とちのき 538m〜柴田勝家が開いた交通路。
板取虎杖いたどりの関所 北国脇街道 国道 365号
   板取の宿、一軒屋 ふるさとの宿場 そば道場(大門)
栃の木(25m高さ、周囲7m)県天然記念物。群生地。

 「延命地蔵」宇津尾→広野ダム
 「八飯やえの獅子舞い」「八飯やえ観音堂」〜宇津尾川
 「黒谷山」634m 「赤谷山」801m 笹ヶ峰1285m  「源平谷山」950m 「船ヶ洞山」808m 「足澗山」396.6m

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