・町を離れて野に山に・・・FUWV部 50年の歩み・
〜・奥穂高岳遭難報告書・〜
●「明日になって 忘れぬよう、すべてを書き記さなければならぬ。再びをくり返さぬよう、一つ一つが語り継がれなければならぬ。。。。。」
六呂師山荘に眠る貴重な資料の中には、岩本君の遭難(1964(S39))の推移を細大漏らさず調査、記録しているファイルがあります。 H12.3.5

福井大学ワンダーフォーゲル部&OB会
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  • 目  次
    奥穂高岳遭難報告書
    〜奥穂高岳遭難報告書(28頁)〜
    S40-4

  • ☆遭難にあたって
  • 想い出の一つ・・・・・・部長 成山甚二郎教官
  • あの夜・・・・・・学生課長 松枝雅亮
  • 光栄ある退却・・・・・・OB代表 石田典一
  • 当時の主将として・・・・・・主将 宮田照久
  • ☆穂高岳概念図・・・・・・
  • ☆穂高連邦こおける彼の行動…後藤允
  • ☆各方向からみた原因・・・・・・小Jll善文
  •  作画と行動の面から・・・・・・
  •  装備の面から・・・・・・
  • B食糧の面から・・・・・・
  • C気象の面から(含:気象資料)・・・・・・
  • 当時のクラブ状況より・・・・・・
  • ☆我々の救助活動記録・・・・・・山川敏夫
  • ☆その後のクラブの推移・・・・・・松島暁男
  • ☆会計報告・・・・・・桜井秀雄
  • ☆関係者一覧表

    イラスト



     我部々員,岩本毅君は,昭和39年10月5日,奥穂高岳頂上より約800 m 下の吊尾根で遭難死しました。
     その後,我々は事後処置委員会を設け,遭難原因を多方面から検討してまい りました。その結果を5ケ月を経た今日,簡単ながら御報告申し上げますとと もに,二度とこのような事故を引きおこさぬよう努力をつづけていきたいと思 います。
     なお,この報告書発行にあたりまして,学生課,0.B会の皆様方はじめ,各 方面の方々より多大な御協力を得ましたことを,心から御礼申し上げます。今 後共,御指導,御鞭達下さいますようにお願いいたします。
    昭和40年3月
    福井大学ワンダーフォーゲル部     事後処理委員会


    「明日になって 忘れぬよう、すべてを書き記さなければならぬ。 再びをくり返さぬよう、一つ一つが語り継がれなければならぬ。。。。。」
    六呂師山荘に眠る貴重な資料の中には 、岩本君の遭難(1964(S39))の推移を細大漏らさず調査、記録しているファイルがあります。その見出し部分を紹介したものです。
    〜その時の気持ちが伝わって来ると同時に、その後この貴重な記録がどのように活用されたのか?後輩や現役の諸君にこれを読んだものが何人いるか?。なんとも分かりませんが、初心を忘れるな!これらを伝える導く役割がOB会にあるのかも、、、。 H12.3.5

   遭難にあたって  想い出の一つ        部長 成山甚二郎教官

 岩本君の遭難の報が伝えられたテレビ放送の報道が,岩本君他二名の福大生ということであった ので,信二名とは一体誰なのか?これがまず解決しなければならない問題であった。
 部長の私の所へは,恐らく届けが出ているだろうからということで,私の所へそれを尋ねられた が,全くそのようなものを見た記憶がなかった。
 ともあれ,ハ方手をつくして見つけねばと思い,学校に駈けつけてみると,すでに,学芸学部の 要務員宅には,もうほとんどの部員が集ま、ていた。が,問題の二人をつかんでいるものはいなか 、た。報道機関にも照会したが,確実な情報は得られなかった。
 そのうちに部員の顔も揃い,そこに居合わせない部員についての消息も明らかになり,その二人 が誰であるかは漸次しぼられてきて,結局,その二人は同僚ではないことが推定出来た。私はその 時,ホッとした安堵感につつまれた。
 一種の虚説感から覚めた時,岩本君の計画について,誰も知、ていなか。たというのは,一体ど うしたのだろうと思った。
 彼の性格的なものであったのか?それとも,クラブの人間関係に問題かおるのか?少くとも,同 クラブ内には,何でも話し合い,相談できるメンバーがあるものだと思う。私はすべて,クラブの メソバー相互の間には,そこまで触れ合う雰囲気が醸し出されていなければならないと考えている。  しかし私が,一番印象的で感動したのは,岩本君の凶報を知るや,その対策の為駈けつけたクラ ブ員の友情の深さであった。
 機敏で,綿密な計画のもとに敢行された救助活動作業,更に,其の他の遺族に対する処置や経費 のことまで,分担する行動のすべてにそれがうかがわれ,よくやってくれたと感謝の外なにものも ない。


昭和18年12月19日生
静岡県御殿場市新橋1826の3
岩本宗久氏長男
沼津東高校出身
※ のんびりと育ち遅く遅く成長し,動作が鈍く,ボロが多く,いつも失敗しては  嘆き,成功しては喜び,一見単純そうに見えて複雑な男。
  勉強はキライで仕方ないのだが,どうやら生きて行く為に必要らしいからやる  程度。
  いつも夢を描き、空想にふけっては,一人でニヤニヤしているイヤラシイ男。
  いつもくだらない事ばかり言。ていると,俺の人間性を誤解されるおそれがあ  るので,近頃は色々と気をつけようと思っている。
  信条一一偽善者より悪人になりたい(自分から考え出したのでないのが残念)                      38年部員名簿より抜粋  本人記

※ 童顔から威勢のよい悪態がポンポン飛び出す。しかし悪気はない。非常に気の  いい男である。しかしよく眠る男である。彼の下宿に3回行くと1回は寝ている。
 昼ですよ,勿論………。で,スクスクと育ち,まるまると肥るのである。   毎日富士山をながめて暮らしたので大らかな所があるが,長男らしくなかなか  細かい点まで気がつく。女の子にはよくもてる。特に中年の女性にもてる事は,  自他共に認めるところである。
阿弥陀                       39年部員名簿より抜粋  後藤記
     クラブ略歴
37年度  4月入部
38年度 11月食料係チーフ
11月装備係チーフ
39年度  新人練成合宿 夏合宿P.L


 事後処理委員
穂高 hodaka.jpg
 宮田照久  建築科四年
 鍋谷昭生  応用物理科四年
 宮川 潔    〃  三年
 後藤 允  建築科三年
 小川前文  電気科三年
 末広政美  機械科三年
 松浦ともえ 学芸学部三年
 久保田武彦 応用物理科二年
 松島暁男  建築科二年
 栗本利幸  建築科二年
 畑下博孝  機械科二年


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