FUWV部50年のあゆみ・部誌「渡り鳥」4号

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 1) 「渡り鳥」発行に当りて   2代目部長 沢崎哲郎

良きワンダラーとなろう            西  脇   寿  郎  日本は全<素膚らしい自炊に党まれている。春夏秋冬に応じ、草木・空・水は 色・姿を変える。  ところを最近の急激な機械文明・都市の発展により、人々は大きな社会組織の 中で一つの型にはめこまれ、次第に目的意識を失い、ただ現在を享楽することの みを人生の目的とし、将来に対する夢や希望を失いつつある。  このような時にこそ人々は偉大な自然にふれ、自分のなすべきこと,進む道を 正しく知るべきではないだろうか。  我々は「真実と自由」を探し求めて山野を歩く。だがそれらは常に現実の上に 立脚しているべきで、現実からの逃避であってはいけない。なぜなら逃避は敗北 であるから。歪められた社会の中にあって、常にこれに対して敢然とした態度こ そ貴いのである。  FUWVでは自然に対する手段として、徒歩旅行 登山,キャンピング,サイ クリング スキー等を行なっている。  確固たる信念と目標を持っての行動であれば、その手段はどのようなものでも よく、またいくらでもあるだろう。  我々ぱこの線にそい、フンダーフオーゲル運動を行なうのに必要な技術、日頃 のトレーニングを通じての体力の向上、そして夏秋冬合宿において、これらの技 術,体力を最高度に発揮し、さらにチームワーク(リ−ダーシツプとメンバーシ ップ)という社会生活に必要なものの向上を目標としている。  これらは野外的な方面だが、他方WV運動の啓蒙をはじめ、種々の研究,趣味 など文化的な方面にも分野を広げ 広い視野の下に総合的クラブとしての発展を 期したい。  今年度の方針としてトレーニングとパーワンに重点をおきたい。前者に関して は東北合宿に見られと体力の弱さを ふだんからの訓練により向上に努める。後 者においこば各自が個々にプランをたで、山だけでなく広い範囲にわたり 積極 的に歩きまわっ欲しい。  今年も卒業生を送り新入生を迎える時期となった。卒業される諸兄は在学中の 多くの思いを大切にし各方面で活躍して下さい。新入部の諸君。一時も早くクラブになじみ、 ともに歩こう。そして語ろう。有能なワンダラーになって下さい。そして愉快な 有意義な学生生活を送ろう。
    ・・・・・部誌「渡り鳥」2・3号 S35(1960) より
文集1FUWV部50年の歩み沿革
部誌4号
〜部誌4号
  目 次
 よきワンダラーとなろう………西脇寿郎
 フンダラーに誇りを……………石田典一
 秋の日‥…………………………松田くみ
 白山に遊ぶ………………………中村篤郎
 新人練成合宿の思い出…………原 公一
 日光旅行の思い出………………大埼紀彦
 東北旅行雑感……………………坂本成伸
 東北名所探訪……………………清水崇男
 日野山をかえりみて……………杉本淳子
 鮎川公園ワンデリング…………木田貝明
 白山登山記‥…………………大久保重康
 秋の黒部峡を探る‥……………小面 裕
 八幡平雑話………………………島村一彦
 随想………………………………吉冨義久
 今日また思うこと………………山田輝男
 私の白山記……………………石田外紀代
 六所山特集
 OBだより
 部員名列


 2) 「西方ヶ岳」   笹木洋佑  (卒業生寄稿より)  [地図参照]

 西方ケ岳は敦賀半島にある山の一つです。この他、敦賀半島にはサザエ岳、三内山などがありま寸が、 西方ケ岳は一番高く、敦賀半島の代表的な山と言えます。
北陸線で旅行すると、杉津駅付近で敦賀湾をへだてて正面に見える山ですから、御賢にたっている方は多いでしょう。  わずか七六四メートルの低い山ですが、県内の山では私の最も好きな山の一つです。
福井から近く、そして千メートルをこえ、ちょっと高い山の感じがする浄法寺山も好きな山ですが、頂上から敦賀湾や若狭湾の 海がぐるっと見下ろされ、水鳥や丹生の入江、敦賀の市街、三方五湖が目に入る西方ケ岳頂上での眺めは飽く事を知りません。 また、何度登っても気を新たにする眺めです。

 それに、私には、この西方ケ岳が山の教訓を身をもって教えてくれた山でもあるのです。
  一、装俯ぱいかなる場合も十分に
  一、慢心して自分の力を過信するな
  一、予定の行動を途中で変えることはやめよ。
と。

 それは一昨の5月、今はやりの敦賀湾の裏側、丹生から一泊の予定で登る計画をした時のことでした。
私はあるわけがあってパーティから一人遅れてまいりました。この時は同じ汽車に乗ったのを途中から引き返したので、 なるべく早く追えるよう、装備はパーティーに預け私の持ったものはその日の弁当だけでした。最初の予定では、皆と別に 敦賀湾側の常宮から登り頂上でパーティーに会うことにしていたのですが、敦賀についてみると常宮行のバスがなかったので 同じコースでパーティーを追うことにしたのです。パーティーとは3時間の遅れでしたが、持ち物もなく、ただ一人のことですから 追い付ける自信はありました。私丹生までに道を、なかば走るように急ぎ、丹生からは、部落の人にパーティの消息を尋ねながら山に入って行きました。途中パーティの足あとを見つけ勇んだ私でしたが、炭焼きのための道が多く、 いつか雑木林の中に迷い込んでしまいました、 しかし私の心の中には、こんな小さな山のこ と、尾根まで出れば何とかなるという気があったのです。
雑木杯の中をやぶこぎして上の方へ、上の方へと急ぎました。しかし、尾根 と思える所まで登ると、またその先に高い尾根があり、これをくり返したあと、ついには 前へ進むも、後ぺ引き返すもでぎぬ程疲れててしまいました。そしてその頃には、もう、 うす暗くなってきでいました。そこにビバークすることも考えましたが、何の装備もないの でぼ考えるだけむだでした。.結局、やっと見つけた谷川に沿って、暗ぐなってから丹生の 部落にたどりつざ、その夜は一軒の農家に世話になって、翌日馬背峠をへて常常に出、そ こから登る途中で、下山してくるパーティと会ったのです。本当につらい思いをした登山 でした。又皆に心配させた登山でした。
   ・・・・・部誌「渡り鳥」2・3号 S35(1960) 

敦賀半島FUWV部50年の歩み沿革



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