・敦賀半島と周辺の山々・
敦賀半島は若狭湾内最大の半島で、南北に連なる西方ヶ岳、蠑螺ヶ岳の背嶺山 地は、
夏緑広葉樹林に覆われているが、山頂部には花崗岩の露頭があって特異な 景観を呈するとともに、
展望も開け雄大な若狭湾のパノラマ景観が眺望できる。

福井大学ワンダーフォーゲルOB会
FUWV-OB:
yoko山展望 {資料館} {ロマンチックつるが} [地図] 福井の山と半島

杉津より敦賀湾 杉津・鉢伏山より敦賀湾と敦賀半島を俯瞰
画像をクリックすると、道の駅「河野」からみた
敦賀湾の展望になります。
 敦賀半島  [地図]

 中央部には、蠑螺ヶ岳、西方ヶ岳、三内山などの 山頂を結ぶ山稜が南北方向に延び、主分水界をなしている。概して、東側(敦賀 湾側)がより急斜面を作っている。また海岸部には、小規模な平地が散在してい る。
 地質的には、半島部の山地は中生代末〜第三紀初期の花崗岩(新期花崗岩)か ら構成されているが、半島基部西南側の菅浜、北田、関付近では花崗岩に貫入さ れた中・古生層があり、接触変成を受けている。

 東側の浦底・色浜・北岸の白木、長谷、西岸の菅浜などには、比高10〜20m程 度のやや急な低位段丘がみとめられ、粗大な花崗岩質の砂礫から構成されており 、旧扇状地性と考えられる。その他の縄間、常宮、山口、竹波、馬背川流域など は、いずれも沖積低地である。
  杉津より敦賀湾
 水晶浜の花崗岩質の白砂青松、門ヶ崎の花崗岩の海食地形、立石岬の磯景観、 色浜−水島付近の堆積−海食地形など海岸地形は変化に富んでいる。

また海岸部では白砂青松の海浜地、花崗岩の絶壁、海蝕洞、岩礁、砂嘴などすぐ れた自然景観が各所に点在している。

 木の芽峠・鉢伏山・365スキー場・板取宿


『西方ヶ岳』 764m「西方サザエ岳登山歩道」  〜敦賀三山 (野坂山岩籠山西方ヶ岳)[地図]

 敦賀半島の主峰「西方ケ岳」は敦賀湾西海岸(西浦)中央部の常宮(常宮神社)の北を左に入ると 田んぼ道に登山口の標識があります。
登り口の標識から30分位登ると岸壁の上に出て敦賀湾を見下ろすことができます。
オウム岩。オーム岩からさきは、穏やかな上りになるので西方ヶ岳の上りを堪能してください。
更に1時間で「銀命水」と呼ばれる水場があります。頂上に避難小屋があり半島を一望できます。
カモシカ展望台(山頂より往復で45分)。
春先にカモシカ台のしたのぬかるみの辺りで水芭蕉を見つけることが出来ます。
西方ヶ岳(764m)は敦賀三山のひとつであり杉津のあたりからみると西方ヶ岳とさざえヶ岳が連なって 敦賀半島の背骨を形成しています。
標高こそ高くないが登りはじめの標高が海抜0メートルなので、たっぷり登り応えがあります。
車は、常宮神社の駐車場を利用させてもらいましょう。
さざえヶ岳まで縦走して裏底に下山するコースもあります。
蠑螺ヶ岳 686m
{西方ヶ岳} 地図:今庄、敦賀、竹波、西津(5万分の1)
上り 2時間10分 下り 1時間40分

敦賀の山々
西方ヶ岳(764.1m)及び蠑螺ヶ岳(685.5m)を主峰とする低山地半島で、東 側は敦賀湾、西側は若狭湾に臨む自然景観のすぐれた地区であり、半島部はほと んど白亜紀末の花崗岩からできており、海岸部には小規模な平地が散在している 。一部南西側の菅浜付近では、中・古生層中に貫入した花崗岩がみられる。その 海岸地形は変化に富んでおり、水島、門ヶ崎、水晶浜などは著名といえる。


立石岬灯台 『立石岬』〜Tateisimisaki〜立石岬灯台 〜[地図]
「立石岬」より門ヶ崎に連なる外浦海岸は、冬の厳しい北西季節風のために、 花崗岩の小石が球状になり、砂浜とは異なった趣がある。

『色ヶ浜』
 松尾芭蕉の奥の細道にゆかりの深い地で、1689年に敦賀を訪れた芭蕉は, 舟を仕立て,この色ケ浜に渡っています。色浜の本隆寺には芭蕉杖蹟・句碑があり,「小萩ちれますほの小貝 小盃」「衣着て 小貝拾わん いろの月」と刻まれています。
西行法師(山家集)『しほそむるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん』〜芭蕉が奥の細道で西行の足跡を辿っている箇所が福井各地に見られる。

水島
明神崎。水島。猪ヶ池野鳥園 {若狭湾国定公園} 西浦海岸 門ヶ崎

敦賀原子力館]・・浦底。敦賀原子力・敦賀原子力館 日本原電
 敦賀市内の原子力発電所・・・・・4基 日本原電 1・2号機 動燃[ふげん・もんじゅ](福井県内の原発は15基)


 【敦賀市】 TURUGA C. 64,199 人 249.5m2 角鹿(つぬが) 「地図」

● 敦賀は古くから、遠く朝鮮、中国の大陸や北海道への交易の拠点港として 人々の出入りが多く、歴史のある町である。
敦賀半島は、若狭湾国定公園の一部であり、福井県最大の半島で、今では 全国有数の原子力発電の基地となっている。しかしこの半島には秘境としての 歴史や、民俗学的に大変珍しい慣習が残っている。
敦賀半島は、西方ヶ岳764m、サザエ岳686mを最高峰とする大きい山塊と、 出入りの多いリアス式海岸独特の美しさを持っている。地質は花崗岩質が多く、 白砂青松の美しい海岸が半島を取り巻いている。特に半島先端の東側に突き 出た松傘状の襞は、いづれも沿岸流による砂嘴さすで、その湾奥に、原子力発電所 が作られた。
敦賀は古くから、遠く朝鮮、中国の大陸や北海道への交易の拠点港として 人々の出入りが多く、歴史のある町である。


気比の松原
 水清い敦賀湾に面して立ち並ぶ1万千本の松− 気比の松原は、日本三大松原の一つに数えられる 国の名勝です。
昭和33年頃の松原海岸 長さ約1.5km・広さ約40万m2という広大さと、白砂青松のコントラストが印象的な松原。赤松、黒松約17,000本が生い茂る国の名勝地です。三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つで、海水浴場として開放される夏場は、京阪神や中京方面から多数の海水浴客でにぎわいます。また、遊歩道も整備されているためウォーキングにも最適で市民の憩いの場となっています。
 古くは北陸の総鎮守・気比神宮の神苑として、明治以後は国有林として大切守られてきました。 アカマツにクロマツが混じり、平均樹齢は約2百年。広大な樹林の海側は、延長1・5kmの白砂の松原海水浴場です。

気比神宮(けいじんぐう)
 敦賀っ子が「けいさん」と呼ぶ気比神宮は、大宝2年(702)の建立と伝えられる北陸の総鎮守 (越前一の宮)。
国道8号線に面して堂々と立つ大鳥居(高さ約11メートル、柱間約7・5メートル)「重要文化財」は、 木造としては、奈良・春日大社、広島・厳島神社の鳥居とともに、日本三大鳥居の一つです。

常宮神社
 敦賀半島の中ほど、海岸に面して「お産のじょうぐうさん」と地元の人が呼ぶ常宮神社は安産の神様 として有名。祭神の神功皇后は、気比神宮の仲哀天皇とご夫婦の間柄。 年に一度、7月22日の総参祭には、仲哀天皇の御神体が常宮へ船に乗って会いにきます。 ・・・・[昭和32年ごろの常宮]


金ケ崎城跡
 市街地東北の敦賀湾に突き出た小高い山にある金ケ崎城跡(国の史跡)は、悲劇の古戦場。 延元元年(1336)後醍醐天皇の皇子、恒良、尊良両親王を守護して金ケ崎城跡に入った新田義貞らが、 城を包囲する足利軍と激しく戦いますが、兵糧が尽きて半年の籠城ののち落城。
中腹の金崎宮(旧官幣中社)は両親王をまつり、付近には堀割跡が所々に残っています。 桜の名所・金崎宮から南東の天筒山へは、遊歩道や広場が随所に設けられ、敦賀湾や市街が一望できます。

金ヶ崎宮」〜「花換え祭」。
新田義貞が後醍醐天皇の皇子恒良・尊良両親王を奉じてここに篭城し奮戦。
  『月いつこ 鐘は沈み うみのそこ』はせを
   『月清し 遊行のもてる 砂のうえ』芭蕉翁像


天筒山」171m ∴金ヶ崎城跡 金ヶ崎天筒山
天筒山のことを古くは、御山(みやま)・行幸山(みゆきやま)といい、神聖な山として、信仰を集めてきた。「天」は手と同じく山の峰が平たく広いという意味で、更に、神に通じ神聖なところを表す美称でもある。また「筒」は一ツ二ツというように筒々という意味で、神霊が通う山であり、鎮まり給う山であることをいう。

●「敦賀港」〜新日本海フェリ−タ−ミナル
三方を山に囲まれた天然の良港であり、古代から栄え渤海使の為に松原客館が置かれていた。鎌倉時代にはやや衰退したと考えられるが戦国時代には朝倉氏の保護を受け、更に安土桃山時代には全国的に海運が盛んになったことから再び隆盛を取り戻し、豪商も生まれた。江戸時代初期には北陸地方などからの米等を運んできた船が多く入港したが西廻り航路の開発により一時的に停滞するが替わって北海道のニシン、昆布等が活気をもたらした。1858年には大野藩所有の西洋式帆船「大野丸」が母港とし、1882年の鉄道開通は港に更なる繁栄をもたらし、1892年には北前船の船主であった大和田荘七(おおわだ しょうしち、1857年 - 1947年)によって大和田銀行が創立された。

●「荘山の高灯籠」〜
州崎の高灯籠は港町の歴史を語る県の文化財であり、日本海で最も古い灯台です。敦賀の港は、日本海側の良港として古くから知られ、江戸時代には松前船の帆柱が林の様に立ち並んだ華やかな歴史を持つ港です。その名残を留める石積みの高灯籠は、江戸時代に敦賀で大きな回漕業を営んでいた船道頭庄山清兵自衛が、享和2年(1802)にこの州崎に建てたものです。通称「荘山の高灯籠」と呼ばれ、当時は毎夜灯籠に灯がともされ重要な灯台でした。


東浦海岸は、背後に海抜500m〜700mの山を負う海岸で、山地斜面は急傾斜を つくって海に落ち、小さな谷がつくる狭い海岸には五幡、阿曽、杉津、横浜、大 比田、元比田などの漁村が、恰かも敦賀湾対岸の西浦地区に呼応するかの様に点 在し、この海岸特有の風土的情緒性の感じられる海岸風景がみられる。対岸の西 浦海岸をのぞむ景色も美しい。
 山はクリ、コナラ林が主で、谷地形にはスギ林、水田、ミカン畑が点在し、上 るにしたがいクリ、ミズナラ林、山頂付近には一部にブナ、ミズナラ林も遺存す るなど、谷地形以外はまだ自然をよくとどめている眺めがみられる。


中池見湿地 中池見湿地(1)』 (2)→・・・・→ (参考)→池河内湿原
   中池見湿地の概要  中池見湿地には数万年の時の中で形成されている。世界的に希少な価値を持っている。周囲の里山に囲まれた中池見湿地の水は雨水と山からの湧き水のみで、流れ込む川はない。 しかし,水環境は多様で、それに対応して生物が棲み分けをしている。また、複雑な地形により、光と風、水と緑が異なる環境が形成され、このことが、生物の多様性にもつながっている。多様な水環境によるモザイク状の植生が生き物たちに命の場を提供し、微生物から猛禽類まで、健全な生態系ピラミッドが構成されていることも観察される。田んぼの中に残る。ここの特徴は、このように生態ピラミッドのどの層の生き物たちも豊富で、出会えることである。特にトンボは今までに70種が確認され、自然の状態での確認種数として全国屈指である


池河内湿原 池河内湿原池河内湿原』ウォーキング 【地図】
・・・面積約4haの湿原に700種近い植物が自生し、その種類の豊富さと、植生の南限や北限にあたるものが含まれることから、学術的にも貴重な湿原となっている。 
平地では見られない動植物が、そこかしこいっぱい。 敦賀市内をゆったりと流れる笙の川。その源流付近にある池の河内湿原は、周囲を山で囲まれた約4ヘクタールの湿地です。 『阿原ヶ池』(あわらがいけ)の名前で市民に愛されるこの一帯には、まだまだ手つかずの自然が残っています。付近の樹木はほとんどが落葉植物となってます。

標高約300m地点にあり、南北約500m 東西約150m 面積約4ha周囲は低山群に囲まれたこの湿原は、周辺からの湧水や周囲から流れ込む水によって潤されていて、湿原内に施設されている木道から動植物の観察が出来る。
 疋田より8号線を経て曽々木の集落を越え,左折し140号線に入り、刀根より笙の川に沿って北へ進む。 池ノ河内の県道沿いに池河内湿原は広がります。野鳥の声も多く、心が慰められる環境です。

(参考)→中池見湿地の自然』

柴田氏庭園
 参勤交代の際には、小浜藩のお殿様の休憩所にもなったという江戸前期築造の豪農の庭で、 別名を甘棠園といいます。市内市野々にあり、この地の豪農・柴田権右衛門が、絵の名手・狩野探幽に 地割り設計を依頼した築山泉水庭で、国の名勝に指定されています。
柴田氏庭園は、江戸時代の敦賀の豪農・柴田権右衛門が、絵師狩野探幽に地割り設計を任せたという築山回遊式林泉庭園である。別名は「甘棠園」(かんとうえん)。敦賀のシンボルである野坂山を借景にしている。参勤交代の時には小浜藩主の休憩所にも使われた。 江戸時代の敦賀の豪農・柴田権右衛門が、絵師・狩野探幽に地割り設計を任せたという築山泉水庭です。江戸前期に出来たもので、別名「甘棠園」とも呼ばれています。参勤交代時は小浜藩主の休憩所にもなりました。簡素な古式書院造りと庭が落ち着いた空間をつくり出しており、国の名勝に指定されています。

西福寺書院庭園
 敦賀市街の西、大原山麓にある西福寺は、今から620年前に良如上人が開いた浄土宗鎮西派の中本山。 浄土宗では北陸きっての名刹です。
1400坪の書院庭園(国の名勝)は、江戸中期の作といわれ、式を通じて閑寂の趣が深く、特に 紅葉のころは、極楽浄土を思わせる美しさです。
重要文化財の絵画や書も多く所蔵し、毎年11月3日には、一般公開されています。


芭蕉像芭蕉の足跡
 元禄2年(1689)8月14日の夕暮れ、46歳の芭蕉は「奥の細道」の最終コースとして敦賀に 入った。
 十五夜を敦賀で迎えるためである、その夜の月は特に美しく、芭蕉が 「あすの夜もこんなに晴れるだろうか」と旅館の主人に問うと、 「北陸の天気は予想がつきません」という返事。翌日は、宿の主人の言葉通り雨になり、 「名月や北国日和定めなき」と十五夜の月を見そこなってくやしがります。

 国道8号線の滋賀県境で茶屋を営む西村家には、「奥の細道」原本(門人の素龍に清書させたもの、 表紙の文字「おくのほそ道」は芭蕉筆)が秘蔵されており、国の重要文化財に指定されています。

●敦賀西町の綱引き「夷子・大黒綱引き」<敦賀市 1月15日(土・祝)>
→えびす、大黒の面をかぶり古式ゆかしい装束の2人が町内を一巡した後、えびす方大黒方に分かれて数百人の老若男女が綱を引き合う。えびす側に軍配が上がれば今年は豊漁で、大黒側に軍配が上がれば豊作という占いです。
■場所/敦賀市相生町西町通り


野坂山  野坂山 913.5m「敦賀富士」
  〜(野坂山) 〜敦賀三山(野坂山岩籠山西方ヶ岳)

JR小浜線・粟野駅近くからスタートする約7kmのコース。いこいの森から一の岳までは急な坂道ながら、登山道が整備されているので初心者も安心。
敦賀一の標高(914m)を誇るこの山、頂上からは遠く琵琶湖も一望できます。
  交通アクセス
 ●自動車の場合〜敦賀ICより「野坂いこいの森」駐車場まで約15分
 ●公共交通機関の場合〜JR小浜線・粟野駅から「野坂いこいの森」まで徒歩約25分
      《野坂山全容(砂流より)》

関峠より 車窓から見た冬の野坂山 野坂山スケッチ

 『見るたびに 富士かとぞ思う 野坂山 いつも絶やさぬ 峰の白雪』 平 重盛
一見して、富士山に似た山容は、古くから敦賀と京都の間を往来する人々にも親しまれ、 うたわれてきた。

【登山コ−ス】
登リ 2時間 下リ 1時間半 △一般向き
JR小浜線・粟野駅→野坂山いこいの森(駐車場あり)→登山口→谷川沿いに徒歩f.30分 →時の木地蔵w.→行者の袖地蔵f.→一の峰50分→二の峰→尾根道急坂f.→三の峰→頂上(四の峰) 山小屋f.40分。。 帰路はこの逆。f.〜徒歩、w.〜水場


 野坂いこいの森 〜 時の木地蔵
敦賀の山々


黒河くろこ渓谷・・・滋賀県境に源流を持つ黒河川の渓谷周辺には、ブナの原生林が広がり、春の新緑、秋の紅葉のころは、ひときわ美しさを増す。 


岩篭り山 岩篭り山〜Iwagomoriyama 765.2m〜インデアン高原
  〜敦賀三山(野坂山、岩籠山、西方ヶ岳)〜

敦賀三山のひとつであるこの山は、野坂山、西方ヶ岳のように山頂からの展望はとてもすばらしい。
『朝日の野坂山、夕映えの岩籠り』
敦賀の人々は、敦賀市街から南方に黒河渓(くろこ) をはさんで対峙する二つの山容の展望の一番美しい ときを、親しみをこめて、このように表現する。
しかし、他の三山より登る人が少ないようです。谷沿いを登り沢を横切ったりするので、増水時は、 注意してください。
岩籠山へは、敦賀から南へ約5キロ、国道8号線沿いの市場集落から始まる。
市場から、笙の川を渡りJR北陸線のガ−ドをくぐって、緩い傾斜の林道を進む、林道の終点に 「登山口」の標識があり、ここから山道となる。しばらく行くと道が二手に分かれるが右手(上)の道を 進む。
清麗な瀬音を聞きながら、岩伝いに沢を飛び越えたり丸木橋を渡ったり、砂防堰堤を越えたりしながら 深い沢を進むことになるが、雨上りのときなどよく滑るので注意を要する。
沢の音も途絶えて、しばらくして右手の尾根にとりつくと、すぐに稜線に出る。
この急登をのぼり尾根に出ると右手の方に見えるピークは、夕暮山(720.4m)です。
往復で20分ぐらいですので時間に余裕のある場合は、確認しにいってください。
尾根に出て左の方が岩籠山です。
稜線から山頂まで30分ぐらいかかります。
山頂は、360度の大展望が楽しめ、視界がいいと琵琶湖や余呉湖まで見ることが出来ます。

稜線は広く刈り込まれていて、右手に行けば、敦賀市街から見えるマイクロウエ−ブ の反射板がすぐ そこにあり、その奥には北ア「雲の平」のそれになぞらえた「日本庭園」と呼ばれている所がある。
本峰へは左手に道をとる。少し下がった鞍部から右手の道は黒河の雨谷に下りる道だが今はブッシュが ひどい。やがて前方に丸い岩籠山の本峰が見え、右手を巻きながら進めば頂上である。
全体が笹に覆われたなだらかなスロ−プの頂上からみれば東方に「インデアン平原」と呼ばれる草原が ある。
あたかも西部劇の大平原のようで、今にもインデアンや開拓者がホロ馬車で現われてきそうな錯覚に陥る。 南方には、余呉湖、琵琶湖から、遠くは伊吹山を望むことができる。
敦賀市市橋←f.30分→登山口←f.90分→尾根←f. 20分→頂上
登リ 2時間半/下リ 2時間
下りは、来た道を下って約1時間30分ぐらいで駐車場に着きます。 標高:765.2m


  疋田の舟川 夢の運河・疋田の舟川
・・・・川筋に沿って石畳があ敷かれ、歴史探訪の散策路として整備されている。
敦賀から山越えで滋賀県湖北に抜け琵琶湖から上方(京都・大阪)へ物資を運ぶと言う壮大な運河構想が昔からあり、事実敦賀の港から疋田まで小舟で荷駄が運ばれた歴史があり、その遺構も残ってる。水上輸送の時代には相当真剣に検討されたようです。今は鉄道や自動車による陸上輸送が主流で、往時、小船が往来したと言う狭い舟川は、夢のまた夢、まさかと思うほどの坂道に、舟、山に登るの感がある。

 ☆疋壇ひきだ城跡。
 ☆愛発あらち関跡(疋田)
 ☆深坂古道コース

赤坂山 赤坂山 赤坂山〜824m〜「三国山」

赤坂山は福井滋賀県境の山で、登りやすく眺望がよいので、滋賀県関西からの登山者の多い山です。

交通アクセス:
黒河川沿いに遡行する。道はあまりよくないが、素晴らしい渓谷を楽しむことができる。 約15km走ると、県境の黒河峠に着く。10台くらい駐車スペースがあり、少し滋賀県側に降りたところに 登山口の標識がある。

登山口から10分くらい登ると、林道に出る。少し左に登り口があり、30分くらい登ると琵琶湖が見える 景色の良い場所に出る。更に20分位で湿地があり林道になっている。その少し先に三国山との分岐点が ある。三国山は頂上が雑木林で眺望がきかない。沢を渡り少し登ると突然「明王の禿」と呼ばれる荒々しい 岩場が目の前に現れた。琵琶湖も見下ろせる見事な景観である。
琵琶湖側が切り立っているので、ロープの柵がある。赤坂山の頂上はすぐそこ、低い熊笹の中を20分で 登れる。山頂は視界360度、若狭の山々、竹生島、伊吹、比良山系等の山々の素晴らしい景観を楽しめる。
ここまで来ると関西の山という雰囲気がある。良く整備された山である。


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