六所山は泰澄大師ゆかりの越知山の別山で、越知山が栄えていた頃は石仏を配置した参道があったようだ。
しかし、この山は福井大学WV部の創設期の部員にとって学生時代の山行きの大部分をこの山のコース開発に
費やし、ここに釘付けされたという思い出の山でもある。
歴史も実績もなかったFUWV部にとってこれを何とか物にし、FUWV部の基盤を固めたいという
気持ちが部員全体にあったことが長期間にわたる開発を支えていた。
その昔、泰澄大師が修行の場として若き日の大半を、ここに篭もって過ごしたことを、このコース開発に
結び付けて考えていたら「六所山のコース開発」はもっと違った観点で取り組んでいたかも知れない。
当時は開放的で明るい日差しを感じる越前海岸へ抜けることが魅力であり目的であったが、尾根筋の熊笹の
伐採には手を焼いたものです。
冬枯れの日に熊笹を鉈で伐採するときの、あの金属性のカンカンいう音は今でも耳に残っています。
おかげで海岸側の地元関係者に支援を頂き、山の上まで越前蟹の差入れをして頂くなどそれなりに
楽しい思いも残っている。
この熊笹は越前蟹にとって必要な物とか聞きましたが、その訳は今では記憶に残っていない。
当時の入山ルートは
1)織田より赤井谷経由花立峠、2)梅浦より血ヶ平経由バンドウ山、
3)風尾より武周ヶ池経由茗荷など、アプローチの長いコースで泊りがけの作業でした。
いづれも公共交通機関の協力で無料パス(写真左)を頂くなど、毎回面倒な手続きにもかかわらず、
執拗に挑戦したものです。 ( 横山 昌弘 )